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J2970 下谷幡隨院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0209A01: 檀林下谷幡隨院志
J20_0209A02:
J20_0209A03: 目 次
J20_0209A04: 山門淸闢 梵閣本末 開祖略傳 妙龍水碑
J20_0209A05: 不濡石名 開祖法脉 剃度資名 學寮子院
J20_0209A06: 歷世淨德 輪下衆哲 明石家系 島津家譜
J20_0209A07: 牧野家系 植村氏譜 末支淸刹
J20_0209A08: 御朱印五拾石 神田山新知恩寺幡隨院
J20_0209A09: 山門淸闢
J20_0209A10: 慶長十五年駿河臺にて創開す開山は智譽幡隨意上人
J20_0209A11: なり
J20_0209A12: 案るに今の昌平橋内土手通りより東南は山田宗悅
J20_0209A13: より西北松永市右衞門屋敷までを寺境とす
J20_0209A14: 寬永九年江戸繪圖に昌平橋なし今の山田宗悅屋敷
J20_0209A15: に寺二軒あり是幡隨院なり
J20_0209A16: 本堂跡は松永氏と見えたり今も猶時時骨を堀出す
J20_0209A17: 事あり妙龍水も同氏屋敷の内にありて此邊は何の
J20_0209B18: 井戸も用にたたず唯此水のみ淸凉なり又いかなる
J20_0209B19: 旱魃にも乾事なし
J20_0209B20: 其後湯島天神男坂下板倉越中守二萬石備中廣瀨城主の邸の隅の
J20_0209B21: 方にうつれり今も其所に井あり彼の妙龍水の名ごり
J20_0209B22: にて名水あり
J20_0209B23: 元寬日記に云二年丙辰大御所樣衆駿府より江戸に
J20_0209B24: 移りしかば屋敷狹かりぬべしとて神田明神其外萬
J20_0209B25: 隨寺等は先へおくり明神は神田の臺へうつし萬隨
J20_0209B26: 寺は下谷へ移すと下略按するに文字もたかひ院號
J20_0209B27: 寺號の相違もあれと當山なるべし
J20_0209B28: 元和二年までは開基の時より神田臺にあり二年湯
J20_0209B29: 島にうつる明曆三年大火後又今の地にうつれり
J20_0209B30: 明曆記云五月大十五日東本願寺靈山寺養源寺幡隨
J20_0209B31: 院誓願寺等は淺草筋にて替地を被下候由
J20_0209B32: 延寶記萬治二己亥年云三年十月十六日江戸新知恩寺に五
J20_0209B33: 十石寄附下略
J20_0209B34: 始は新知恩寺とのみ呼ひしをいつの頃よりか今の號

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