浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0141A01: | 檀林瀧山大善寺志 |
J20_0141A02: | |
J20_0141A03: | 目 次 |
J20_0141A04: | 發開正因 道塲勝區 像畵瑞軀 得讓什器 |
J20_0141A05: | 金章玉翰 安禪景望 累世山主 境中殘名 |
J20_0141A06: | 舊檀戒諱 十夜勸進 禀承弘通 門末由縁 |
J20_0141A07: | 假隷兩寺 |
J20_0141A08: | 御朱印拾石 武州多麻郡八王子觀池山往生院大善寺 |
J20_0141A09: | 代境内壹萬五千坪 |
J20_0141A10: | 發開正因 |
J20_0141A11: | 開山讃譽牛秀上人は同國立川村領主立川能登守淸房 |
J20_0141A12: | 法名淸房院淨安居士と號男母鈴木佐渡守重親女法名法信院妙西禪尼川越蓮馨 |
J20_0141A13: | 寺感譽上人の室に剃度し禀性柔順信行雙修の高匠な |
J20_0141A14: | り法門論議怠りなし宗傳皆禀ののち自ら思念すらく |
J20_0141A15: | 凡法門の弘通は人にありて末代の化益は其人を得る |
J20_0141A16: | にありわれ先檀林をひらき傳戒傳法の正業を傳ふる |
J20_0141A17: | に於ては四方の宗徒遠近輻輳すべしその中には必ず |
J20_0141B18: | 弘通宗法の大導師を得べしとこれより有縁に募りて |
J20_0141B19: | 伽藍を起立せんと當國瀧山は舊邑に近しと天正十三 |
J20_0141B20: | 年當山を開基す此時城主北條陸奧守氏照歸信助勢し |
J20_0141B21: | 堂宇速に成就す舊臣ことことく檀家と成しかば又慈 |
J20_0141B22: | 根寺村にうつす此時氏照本宗氏直の許にても師の高 |
J20_0141B23: | 德をのべられしかば末末は小田原へも請せられ一宇 |
J20_0141B24: | 起立あるべしとなり先其のち北條家一族甘繩左衞門 |
J20_0141B25: | 太夫平氏繁の請により相模國矢部村に大善寺をひら |
J20_0141B26: | き又同國平塚宿にも大善寺を開創ありしとぞ |
J20_0141B27: | 當山舊記に云立此三ケ寺内一ケ寺は必す檀林所と |
J20_0141B28: | なさんと心願ありと云云然るに矢部大善寺の記を |
J20_0141B29: | 閲るに彼開山は辨蓮社長譽上人にて慶長十九年九 |
J20_0141B30: | 月十五日寂とありしかる時は別人なるべし今當山 |
J20_0141B31: | の記何によりてしるされ古來より傳來せしにや不 |
J20_0141B32: | 審又長譽は牛秀の法類にてひそかに讓られしかは |
J20_0141B33: | 後人開山と思へるにや |
J20_0141B34: | 天正十八年六月廿三日慈根寺城元八王子と云落去すこれに |