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J2930 結城弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0125A01: 下略
J20_0125A02: 開山堂 五間半に三間瓧葺(當時杮葺)延寶三卯年十
J20_0125A03: 八世靈圓上人建
J20_0125A04: 開山存把上人は相模國人未詳氏族或云大森備中守妾腹なり本室妬心深き故
J20_0125A05: 竊に隱し居しを卑婦つげしかは大にいかり既に母子ともに郞等に命し人しらぬに事よせて失はるべかりしをさとりて此子を淨家の
J20_0125A06: 寺に出家せしめ母は暇を乞ひ家に歸ると云云九才にて家を離れ貞把上人を師
J20_0125A07: とし落髮す靜所に安居し淨敎を學ふ耳目の觸る所
J20_0125A08: 憶記し忘るる事なし或夜夢に文殊告て求法精心有
J20_0125A09: 冥助我與汝智福云云忽ち奇異の思をなし南都に至
J20_0125A10: り瑜伽唯識因明等を練究し北京に遊ひて天台眞言
J20_0125A11: の敎意を探明す再ひ東國に歸り下總國印幡郡西筋
J20_0125A12: 寒風村に圓天寺を起立す當寺後晴明除地とせらる
J20_0125A13: 終に撰擧によりて飯沼弘經寺に住す中略當山開建
J20_0125A14: の後瓜連常福寺に移り神祖御子武田萬千代丸淨鑑
J20_0125A15: 院殿の御導師を勤め彼の寺の鴻業の祖となり慶長
J20_0125A16: 九年十一月二十一日圓寂七十才
J20_0125A17: 同堂安置 釋迦尊三尊中一尺八寸座像唐佛九重座迦
J20_0125B18: 葉阿難二尊者立像長一尺五重座二十一世辨譽上人
J20_0125B19: 代元祿八年結城大町安澤松隱寄附之
J20_0125B20: 觀音堂 四間半 聯慧身普現譬如月即千江慈眼等觀宛似親憐一子曇龍上人筆
J20_0125B21: 寺記云觀世音大士は佛眼上人の作にて八百餘年と
J20_0125B22: 云又佛眼上人は西國順禮の祖醍醐天皇の御子なり
J20_0125B23: とて當山に大玄大僧正の記一卷有予按するに其頃
J20_0125B24: 佛眼上人の名なし諸傳諸記に傳る所未た見ず是は
J20_0125B25: 後醍醐天皇の皇子越中宮を佛眼明心上人とて越中
J20_0125B26: 國高岡極樂寺富山極樂寺なとを始め數ケ所を御開
J20_0125B27: 起あられ遊行の門流を汲給へり此佛眼上人は時宗
J20_0125B28: にてましましけれは諸國をめぐり當所に此尊を作
J20_0125B29: りをき給へるなるべし結城は南朝に志深く又當所
J20_0125B30: に時宗の寺を建て結城山安穩寺と云其後南朝の衰
J20_0125B31: 微により心ならず北朝足利に降られけれはかの佛
J20_0125B32: 眼上人をひそかにむかへ給ひしならんかされは寺
J20_0125B33: 傳と云へとも又大玄僧正の記ありと云へとも所傳
J20_0125B34: の佛眼上人と云ふ人違時代たがへる謬なるべし

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