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J2920 川越蓮馨寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0105A01: 檀林川越蓮馨寺志
J20_0105A02:
J20_0105A03: 目 次
J20_0105A04: 寺縁榮運 堂宇數柱 彫像畵尊 新古什具
J20_0105A05: 歷祖法位 門下傳名 大衆起寺 所賜朱章
J20_0105A06: 拾八末寺
J20_0105A07: 御朱印貳拾石 武藏國入間郡川越孤峰山寶池院蓮馨寺
J20_0105A08: 寺縁榮運
J20_0105A09: 天正年末北條家藩老當城主大道寺駿河守政繁政磐とも
J20_0105A10: 平生淨土の要法を信敬し甥山角氏の二子剃度し感譽
J20_0105A11: 存貞上人と名付しを座右に請見し令法久住有情利益
J20_0105A12: のため即ち自らの略粧の知行所平方村に造營し地名
J20_0105A13: により孤峯山今は孤峰山を御嶽と稱すと名け寺名法名ともに寶池
J20_0105A14: 院と號せらる是當村に池あり七寶池に標顯し自ら名
J20_0105A15: けられしとぞ今丸池と云又五會法事讃の文に西方便有一
J20_0105A16: 蓮生の意を以て蓮馨大姊と稱せらるるは池蓮に嘉譽
J20_0105A17: の儀有るが故なるべしさて又永祿元年八月駿河守在
J20_0105B18: 城のとき城下に又寺を立これを建立寺と名け又見立
J20_0105B19: 寺と改め佛殿方丈學寮日を追て立らる此とき四方の
J20_0105B20: 學徒淨宗の傳法に志あるものは東國に來集せしは下
J20_0105B21: 總國生實同國小金同國橫曾根同國鏑木武藏國川越同
J20_0105B22: 國貝塚の縁山同國小机相模國鎌倉なとに輻湊し夏冬
J20_0105B23: の法幢に多少の僧俗群會有ければ駿河守是近國の敵
J20_0105B24: の有樣をしるべき善縁なりとて見立寺へ學資若干を
J20_0105B25: 五十貫の地といふ附せらる日雲集結夏の度ごとに糧米百石づづ
J20_0105B26: を寄捨あり感譽上人は一説並に當寺近來の記に北條氏康の二男小田原傳肇寺に入て剃度とあり按る
J20_0105B27: に北條家譜にのせす山角氏の譜に載せてあり後世の記錄故寺記なりといへども北條氏には有べからずされど今寺紋にも三鱗を用ゆ永
J20_0105B28: 祿六年武州縁山へ轉住し第十世の祖位にのぼり傳法
J20_0105B29: の規繩法問の則儀を定めらる故に一流の祖と稱せら
J20_0105B30: れ今檀林の正風と成る師縁山の八世杲譽上人飯沼
J20_0105B31: 弘經寺鎭譽祖洞公に練行ありしのち諸方に寺院を建
J20_0105B32: 開ある事廿餘寺なり同九年又當寺に歸り再住の上平
J20_0105B33: 方に先に建る所の蓮馨寺を移し是城主の命なり見立寺を兼帶
J20_0105B34: しかの跡には馬蹄寺を創め又當所高澤町大蓮寺同

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