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J2910 生実大巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0094A01: ○眞蓮社馨譽は和泉國人にて道譽上人の門弟となり
J20_0094A02: て生實に隨從し諸國雲水となりて宗門を弘通の時天
J20_0094A03: 正十年正月廿四日越後國新發田に瑠璃山常行院三光
J20_0094A04: 寺を開基す寺領に二町三反溝口信濃守寄附
J20_0094A05: ○宣蓮社定譽祖貞は道譽上人の直弟にて生實に久從
J20_0094A06: す後化他の爲遊蹈の時越後國蒲原郡下滌村に福德山
J20_0094A07: 淨泉寺を起立是天文十丑年四月十五日也寺領六反有
J20_0094A08: 永祿元午三月朔日化六十八
J20_0094A09: ○長蓮社英譽善貞阿波國人長江氏幡隨上人西國下向
J20_0094A10: の時父母渴仰し弟子に進せしより久隨熟學然れとも
J20_0094A11: 程なく師遷化によりて高弟隨波上人に附法隨逐し伴
J20_0094A12: 頭となり時武藏國鬼島龍藏寺にて一夏法幢をたて法
J20_0094A13: 問あり此時館林城主榊原式部大輔忠次祖父康政より
J20_0094A14: 館林善導寺檀家なりしに今度館林より奧州白川へ移
J20_0094A15: 封により永代の菩提所を起立せんと善導寺主以傳上
J20_0094A16: 人へ相談あられ城下の龍泰寺を白川に移し寺領百石
J20_0094A17: を寄附し以傳の伴頭善貞を乞てかの方の開山住持と
J20_0094B18: す翌年忠次在江府の時增上寺に諸山主乘譽上人と知
J20_0094B19: 恩院此時住職にて在庵貫主との列席にて新寺建立は御制禁たる
J20_0094B20: によりて龍泰寺を見向山養林院泰叟寺と號し是先祖
J20_0094B21: 康政法號養林院上譽見向大居士と號し嫡男出羽守
J20_0094B22: 忠政法名泰譽叟安の名を以て附名するか故なり其後
J20_0094B23: 忠次白川より播州姬路に移封の時寺も隨從し又越後
J20_0094B24: 國村上へ替城の時も添來れる故今は村上にありと云
J20_0094B25: 善貞は寬文三卯年九月四日寂す
J20_0094B26: 案るに其後泰叟寺は榊原氏に隨ひ越後國高田に移
J20_0094B27: る其のち内藤紀伊守豐前守村上に移封の時當寺を
J20_0094B28: 以て菩提所と定め高德寺と改め寺領二百石寄附せ
J20_0094B29: らる
J20_0094B30: ○進蓮社勸譽呑益は越後國村上領福岡村人淨泉寺定
J20_0094B31: 譽弟子生實に下向し道譽安譽の二師に附法修學し歸
J20_0094B32: 國後天正二戌三月同郡山口村に法性山淨樂寺を造創
J20_0094B33: す師の沒後淨泉寺に住持し萬治元戌十二月廿九日化
J20_0094B34: 八十才

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