浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0075A01: | 敬他に異なり此頃東國戰責の最中なれば寺門淸寧の |
J20_0075A02: | 爲として禁札を門前に建らる又下馬札を兩門に示標 |
J20_0075A03: | し旗下屬士の不猥樣にとの高風を許さる |
J20_0075A04: | 定 |
J20_0075A05: | 一諸國之武士不論貴賤於惣門前可有下馬事 |
J20_0075A06: | 一寺内門前諸役一切停止之事 |
J20_0075A07: | 一喧嘩口論停止之事 |
J20_0075A08: | 一博奕堅禁制之事 |
J20_0075A09: | 一殺生禁斷之事 |
J20_0075A10: | 右之條條於違犯之輩者可加成敗者也 |
J20_0075A11: | 永祿十二巳年五月 |
J20_0075A12: | 是より四方の雨笠集り法問論議ありといへども障難 |
J20_0075A13: | ある事なし胤榮元龜元午年故ありて同國的井に城を |
J20_0075A14: | 築き移る然れども猶師を請し常に法要を聽聞あり師 |
J20_0075A15: | 七里を遠しとせず常に遊化ありければかの地に又新 |
J20_0075A16: | 大巖寺を建立し師を開山第一祖と仰敬せらる今大巖に混する故 |
J20_0075A17: | 長源寺とあらたむ天正の始師沉痾を愁へ數日の間に大漸の期 |
J20_0075B18: | を覺し門弟子を集めて云予本性鈍魯なりしに一旦明 |
J20_0075B19: | 王の示驗によりて弘敎も心のままにて濟度も又ひろ |
J20_0075B20: | し且又禪尼の篤信外護力によりて傳燈の叢林をひら |
J20_0075B21: | き弘通の本刹を建る事を得たり然らは我滅後忌日の |
J20_0075B22: | 法要を修んと欲せは禪尼の沒日を定式とし兼行修善 |
J20_0075B23: | すべし又汝等もし魯頑の輩は明王の威德力を仰き又 |
J20_0075B24: | 我廟所にも祈るべしと云畢て臼井城下新大巖の靜盧 |
J20_0075B25: | に遷化あり世壽六十法臘四十七實に天正二甲戌年十 |
J20_0075B26: | 二月七日也門徒慟哭悲涙ををさめ遺身を荼毘し大巖 |
J20_0075B27: | 長源の二寺に建碑す鎭流祖傳は此錄と大に遠なり彼書はすべて不詳事多し今は暫く寺記による淨土本 |
J20_0075B28: | 朝高僧傳五卷四右列祖傳卷四五左總系譜中十左新撰傳其外諸寺由緖記等に出 |
J20_0075B29: | 天正五年二世安譽上人代胤榮より永世寺地紛亂なか |
J20_0075B30: | らんか爲に寄附狀を送らる |
J20_0075B31: | 御寺領並御屋敷等之事如何樣之橫合有之共後後迄 |
J20_0075B32: | 相違之儀不可有之候爲其一札如件 |
J20_0075B33: | 天正五年五月廿一日 胤榮書判 |
J20_0075B34: | 大巖寺參 |