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J2890 鴻巣勝願寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0037A01: 是開基武州鴻巢勝願寺即葬之法名勝林院秀譽
J20_0037A02: 源長久運大禪定門)
J20_0037A03: 牧野譜略(略之)
J20_0037A04: (佐渡守信成慶安三年四月十一日卒七十歳葬勝
J20_0037A05: 願寺法名知見院性譽(林系)哲心(善同)大居士從是爲當山大檀
J20_0037A06: 那)
J20_0037A07: 眞田氏系等(略之)
J20_0037A08: (按するに眞田伊豆守滋野朝臣信之室大蓮院殿葬
J20_0037A09: 送の時當山開興不殘上人爲導師信濃國へ被趣香
J20_0037A10: 火下炬を勤られしかは彼縁によりて大蓮院殿の系
J20_0037A11: 縁にて當山の檀那と定りしなるへし然るに眞田信
J20_0037A12: 信之子卒後無子故以遺領一萬石被返父信之以是血
J20_0037A13: 絶斷家によりて當今無縁にひとしく成行しなり文
J20_0037A14: 政二年寺主香堂上人の願により本宗眞田家參勤通
J20_0037A15: 行の節香資を備へらるべきに定りしとぞ)
J20_0037A16: 山下俊英
J20_0037A17: ○明蓮社光譽圓阿宗呑は三河人内藤右京進孫松應寺
J20_0037B18: 演譽弟子鴻巢に下着し不殘上人に謁禮孔厚し信行双
J20_0037B19: 修し一心專念す慶長十九寅年猿樂町にて藥王山能覺
J20_0037B20: 寺無量院を開基東照宮御鷹野の節尋させられしに内
J20_0037B21: 藤右京の孫なる事を上聞に達しけれは寺地を神田に
J20_0037B22: 賜る始宇津宮淸岩寺に住し次に淺草誓願寺に主務し
J20_0037B23: 後洛陽一心院に住職す其後隱逸にて當寺に閑居と云
J20_0037B24: 寬永九年七月廿九日入寂七十一才
J20_0037B25: 後於萬方六條殿息女大猷公御寵女掩粧時當寺へ葬
J20_0037B26: す故に寺領二十石を被下
J20_0037B27: ○近譽順應は尾張人剃師念譽と共に加賀國にゆきて
J20_0037B28: 師の建立せし法船寺にありて寬永二年同國大聖寺に
J20_0037B29: 於て醫王山誓立院松縁寺を起立正保二年正月二日化
J20_0037B30: ○然蓮社法譽は何處の人といふ事を知らす鴻巢に修
J20_0037B31: 學し不殘上人より傳法禀承しかの山に久住して學頭
J20_0037B32: 職にいたる其のち廻國して化益を專らとせし時因幡
J20_0037B33: 國八上郡上船岡村に不遠山西橋寺を開基し住持する
J20_0037B34: 事三十余年慶長十七年六月五日入寂

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