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J2880 新田大光院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0006A01: とす泉深僅五六尺底に石あり水石下より涌井中に
J20_0006A02: 湛へ世上旱魃にて諸井皆悉渴盡すと雖此水竟に汲
J20_0006A03: 干す事なし或云惟古へ金山在城の時の御茶水也と
J20_0006A04: 八瀨川 領内太田大島兩村の境川にて下馬先西の流
J20_0006A05: 水これなり次下略
J20_0006A06: 豐田川 下馬橋の下西流直に落て八瀨川に入るの小
J20_0006A07: 川なり下略
J20_0006A08: 表下馬橋 大門の大路を入行樹二丁計にて豐田川を
J20_0006A09: 南北に跨る板橋の處に下馬札あり
J20_0006A10: 下乘退凡の事西域記九に出
J20_0006A11: 裏下馬橋 裏門の東南同し川を西東に橫渡小橋のも
J20_0006A12: とに建札あり
J20_0006A13: 中門の石橋 中門直下の小橋なり淺狹踰跨に過す
J20_0006A14: 土橋十六箇所 領内より太田大島東西の山澗にかか
J20_0006A15: れる數なり
J20_0006A16: 海棠花 堂前鐘樓の傍にあり開祖自手栽處なり
J20_0006A17: 玄甫梨 大庫裏前土堤際の高木なり是又開祖所植藥
J20_0006B18: 樹なり
J20_0006B19: 五所柿 小方丈南面の中庭にあり枝葉高く茂り軒端
J20_0006B20: を覆へり是れ接穗の古木なり開祖武城にて 東照
J20_0006B21: 宮より拜受歸來手自所接の古樹なり隔年多少あり
J20_0006B22: 顆形風味殆んど賞するに耐へたり 台德院殿御代
J20_0006B23: より毎年九月東都兩御所へ内献上あり或 常憲院
J20_0006B24: 殿の御代よりとも云
J20_0006B25: 長門行樹 太田驛より中門に至る迄凡八丁左右の行
J20_0006B26: 樹松杉相雜り下略
J20_0006B27: 臥龍松 本堂鐘樓中間の庭上にあり
J20_0006B28: 鑓抳松 古へ下馬前行樹の列にあり老木幹大ひとり
J20_0006B29: 道路に橫はり登山の武士鑓をたて通りかたし故に
J20_0006B30: 此所に鑓を止む故に名く元祿三年枯と云今は名の
J20_0006B31: み殘て樹なし
J20_0006B32: 躑躅花 領内の峯澗悉躑躅開花の時は赤氈を鋪か如
J20_0006B33: し下略
J20_0006B34: 松山 領内の諸山欝欝蒼蒼實に千秋の榮にとみ萬木

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