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J2860 瓜連常福寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0785A01: て此逆賊の同志も有へけれはそれへ見せしめの爲
J19_0785A02: に常に酒席へ出されしか彼漢の高祖か英布彭越韓
J19_0785A03: 信のたくひまた織田信長公淺井長政の首を杯とし
J19_0785A04: 列國の諸侯へ年首の禮杯にいたされしに類し反心
J19_0785A05: を惡みたまひしとなり後成公當山へ御納被爲吊彼
J19_0785A06: 靈と云然るに予藩中の學士立原翠軒甚五郞と名く高儒なりに此
J19_0785A07: 事を尋しに翠軒云此杯は長野九十郞とて威公の御
J19_0785A08: 代能役者なり故ありて暇を給はりけるに其後は
J19_0785A09: るか年を經能興行の時大府四坐の輩と共にしらぬ
J19_0785A10: 顏にて來會す威公これを見出したたちに召よせ馬
J19_0785A11: 塲にて手討となし給ひ其夜二更の頃義公鶴千代と稱ししとき
J19_0785A12: 十歳にもなりたまわさるをよはせかの首を一人に
J19_0785A13: て持來るへう申されしかはかしこまりて夜陰にか
J19_0785A14: の首をかかへ歸るさ重かりしとて三たひまでやす
J19_0785A15: ませ給るよしにてささけ出されしとなり其のちか
J19_0785A16: の首を杯とし譜代の輩に見おくへき旨仰ありしを
J19_0785A17: 成公の時一に義公の時當山へ納られしと云ふ
J19_0785B18: 了譽上人眞蹟
J19_0785B19: 常陸國久慈西瓜連草地常福寺之領御寄進狀之事者
J19_0785B20: 延文三戊戌十二月七日淨喜寺于時左馬權頭義篤御
J19_0785B21: 判也然は去嘉慶二戊辰二月廿一日宿中無殘所燒失
J19_0785B22: 之刻依流火彼堂炎上之時御寄進狀並坊敷田畑坪付
J19_0785B23: 等悉以紛失畢其已後於于今當知行雖無相違御沙汰
J19_0785B24: 所判申受爲備後證也以此旨豫御披露候者恐悅候恐
J19_0785B25: 惶敬白
J19_0785B26: 三月六日 酉蓮社了譽在判
J19_0785B27: 進上 稻木殿御奉行所
J19_0785B28: 下知狀寫了譽上人眞蹟
J19_0785B29: 延文三戊戌十二月七日御寄進狀並坊寺領之坪付等
J19_0785B30: 紛失云云其旨承候畢者守先例可被致精誠御祈禱也
J19_0785B31: 應永十二年三月六日 稻木阿彌常仙
J19_0785B32: 同斷
J19_0785B33: 亟 啓上
J19_0785B34: 常福寺領坪付之事

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