浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0766A01: | 裏門 額田口に所開 |
J19_0766A02: | 大方丈 梁五間桁八間瓜連舊地出現銅佛阿彌陀如來立像安置 |
J19_0766A03: | 上段二間に二間半二方入側 |
J19_0766A04: | 小方丈 梁間四間桁行九間四方椽付一二の間但し三の間を奧茶之間といふ |
J19_0766A05: | 居間 山主勤學所二間に二間半 玄關 梁二間半桁二間 |
J19_0766A06: | 式臺同斷 茶之間 庫裡 |
J19_0766A07: | 内外廊下數十間 役所 役者役僧其外詰所 庫數ケ所 法庫文庫雜倉等 |
J19_0766A08: | 學寮 八軒 外に貳坊 悉しくは下に建繪圖を出せるが如し下乘橋 |
J19_0766A09: | 下乘 唐門之前正面に建木標あり裏門にもあり |
J19_0766A10: | 下馬 表黑門吉水に立裏門にもあり |
J19_0766A11: | 入口吉水より黑門迄百三十二間半黑門より橋迄九 |
J19_0766A12: | 十六間三尺橋より唐門迄三十一間一尺唐門より山 |
J19_0766A13: | 門迄五十間三尺五寸山門より御佛殿まて三十一間 |
J19_0766A14: | 御佛殿より法堂へ十二間道幅八間 |
J19_0766A15: | 檀林系譜次第 |
J19_0766A16: | 但し歷世者依檀林之例瓜連爲正統後向山え合糅而系之故に向山淨鑑院兩三世除之累代牌に不記 |
J19_0766B17: | 開山盛蓮社成阿了實上人 |
J19_0766B18: | 上人生國氏族未詳十七歳依太田蓮勝上人淨土宗日本第五祖出 |
J19_0766B19: | 家受業凡十三年天質嚴厲而道高學富元德二年庚午 |
J19_0766B20: | 六月二十九日師賜附法之璽書亦隨鎌倉光明寺三世定 |
J19_0766B21: | 惠上人禀圓頓戒其他如上至德三年丙寅十一月三日示寂 |
J19_0766B22: | 世壽八十三法臘六十七 |
J19_0766B23: | 中興第二世淨土宗第七祖酉蓮社了譽聖冏上人 |
J19_0766B24: | 上人世姓源氏常州久慈郡岩瀨人誕生地今誕生寺則其地也云云父白 |
J19_0766B25: | 吉志摩權守佐竹一族新羅三郞義光後裔母某氏幼八歳入了實室剃染受 |
J19_0766B26: | 業其爲人也頂骨高聳額現纎月眼光射人意蘊淸操智 |
J19_0766B27: | 辨如泉才鑑似電性相顯密悉皆陶練孔老詩歌莫不究 |
J19_0766B28: | 通又從定惠蓮勝二師研詳宗眼於是淨敎煥乎勃興于 |
J19_0766B29: | 萬邦道化森乎洋溢于群方實是曼殊應迹不可得而稱 |
J19_0766B30: | 者哉遂住常福寺爲第二世至德三年適逢佐竹義秀之亂而 |
J19_0766B31: | 負笈遁去隱郡之不輕山在川島村今名不輕山香仙寺後還來中興草地 |
J19_0766B32: | 山居不幾應永二十二年乙未秋讓草地山于了智去棲 |
J19_0766B33: | 隱武州小石川今曰宗慶寺是也應永二十七年庚子九月二十七 |