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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0747A01: 譽林冏弟子縁山曉譽上人附法元祿九年三月七日寂す
J19_0747A02: 往古藥師堂號堅固院元祿六酉改寺號
J19_0747A03: 江戸志云昔は當寺にて日日四衆を集て華嚴經を講せ
J19_0747A04: り寺を華嚴と稱するもここにもとつきしと見へたり
J19_0747A05: 寺社帳に境内貳百七十六坪内四拾五坪藥師堂
J19_0747A06: 舊記云
J19_0747A07: 淨土宗 小石川傳通院末本所牛島堅固院
J19_0747A08: 右堅固院儀申五月古跡並に被成候本寺無之に付今
J19_0747A09: 度傳通院に相極寺號華嚴寺と改度旨申に付願之通
J19_0747A10: 申渡し候爲御心得如此候以上
J19_0747A11: 酉十一月十六日 松浦壹岐守○
J19_0747A12: 多賀又四郞樣
J19_0747A13: 藤堂庄兵衞樣
J19_0747A14: 增補江戸砂子に當寺の縁由を悉しく出す依略玆
J19_0747A15: 小日向智鏡山大圓寺
J19_0747A16: 開山承蓮社相譽法運單愚上人遠州人市川氏結城實譽
J19_0747A17: 上人附法初生西寺を開住し寬永八年二月起立延寶七
J19_0747B18: 年二月十三日寂
J19_0747B19: 白山深高山淨土寺
J19_0747B20: 境内表十七間裏十六間門前町屋小間四間
J19_0747B21: 開山信蓮社單譽了宅上人豐後大野の人駄原氏子寬永
J19_0747B22: 五年三月起立松平越後守祖一白公の遺骨を持來り安
J19_0747B23: 置故に今彼屋敷の内寺也
J19_0747B24: 當寺檀家森氏近世絶家す森氏は本國美濃紋抱柏指物
J19_0747B25: 四半白地朱五字裾抱柏
J19_0747B26: 當家の系(略之)
J19_0747B27: 長格隼藏 彥太郞 實小濵長五郞男 文化九年三月廿二日家督二千石(上野下野常陸之内)入菅沼越前守支配 文化十三
J19_0747B28: 年月日養父被害 家系斷絶
J19_0747B29: 一人の心より先祖累代の家名を絶するに至ること悲
J19_0747B30: 歎極りなし此事別册にしるす實不はとまれかくまれ
J19_0747B31: 長格累代の賴の字をはぶき實名を名乘るに及ければ
J19_0747B32: 此一事もて餘事を考ふるに父子の情薄く養父に不孝
J19_0747B33: より事起れは小濱氏より森の胤系を滅せしむるに至
J19_0747B34: れる事いかなる因縁なるや凡慮はかりがたし

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