浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0698A01: | 以貴小傳云東照宮の御母上大方殿と申せしは水野右 |
J19_0698A02: | 衞門大夫忠政の御女なり岡崎贈大納言家廣忠卿に嫁 |
J19_0698A03: | し玉ひて天文十一年の十二月廿六日若君を設せ給ふ |
J19_0698A04: | 竹千代殿と申則ち東照宮の御事なり其後又姬君一方 |
J19_0698A05: | 生れ玉ふ是は初松平與市郞忠正に嫁しのちに保科越 |
J19_0698A06: | 前守正光の妻となり玉ふ大方とのは御父忠政失せら |
J19_0698A07: | れしのち御兄下野守信元尾州の織田に志を通せらる |
J19_0698A08: | 岡崎殿は二なき今川方にておはせしかはついに信元 |
J19_0698A09: | の因をたちて北の方を下野守の許に送り歸し玉ふ是 |
J19_0698A10: | に依て尾張國知多の郡阿古屋の領主久松佐渡守俊勝 |
J19_0698A11: | に再醮し給ひて男子三人女子四人をまうけ玉ふ永祿 |
J19_0698A12: | 三年の三月東照宮はしめて阿古屋の館にわたり玉ひ |
J19_0698A13: | 御母上に見參し玉ひしついてに三人の子息を御弟に |
J19_0698A14: | なされて松平の御家號を許し玉ふ兄は三郞太郞康元 |
J19_0698A15: | 後には因幡守次は源三郞康俊豐前守になる末は三郞 |
J19_0698A16: | 四郞定勝のちに隱岐守といふ父の佐渡守俊勝も岡崎 |
J19_0698A17: | に祇候しけれは三河の國西郡の城を給ふ下野守信元 |
J19_0698B18: | も御外舅なれはへだてなくおはしけるに一とせ織田 |
J19_0698B19: | 殿の不興をえしかは東照宮も力及ばせ給はで岡崎に |
J19_0698B20: | 招きてうしなひ玉ふしかれとも所領の地は事故なく |
J19_0698B21: | 弟なりし水野藤十郞忠重に織田殿より給はる當家の |
J19_0698B22: | 御ちなみあるか故なりとそ聞えし佐渡守俊勝は天正 |
J19_0698B23: | 十五年の三月十三日に失せぬ尾張國知多郡の内坂部 |
J19_0698B24: | 村洞雲院に葬れりといへり大方殿は當家の御かしつ |
J19_0698B25: | き大かたならす慶長七年六月都にのほり給ふ是は名 |
J19_0698B26: | 所古跡なと御遊覽あるべきためと聞えしかことし八 |
J19_0698B27: | 月廿九日伏見の城にてかくれ給ふ御年七十五歳とぞ |
J19_0698B28: | この御よはひによれば東照宮生れさせ給ひし天文十一年は大方殿わづかに十五歳にておはしませしとかや傳通院と申 |
J19_0698B29: | すおなきからは小石川の無量山壽經寺におさめまい |
J19_0698B30: | らせらる今の傳通院是なりいつの比にや御佛供の料 |
J19_0698B31: | として三百石の地をよせらる大方殿の御名お大の方と申傳通院殿と申は御追號なりとし |
J19_0698B32: | るせしものありしかれとも俊勝におくれさせ給ひしのちは傳通院殿と申奉りしもしるべからず |
J19_0698B33: | 柳營譜略一云傳通院殿三州苅屋城主水野右衞門大夫 |
J19_0698B34: | 忠政養女實靑木加賀守政信之女天文十三甲辰九月御離縁後再嫁 |