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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0661A01: 大師標石 圓光大師遺跡第十三番粟生光明寺寫
J19_0661A02: 寬政七年卯夏佛生日立
J19_0661A03: 不許葷酒入山門の標石 處靜院の前に立
J19_0661A04: 善光寺如來 縁受院に安置
J19_0661A05: 子安地藏尊 〓ら門より入右側
J19_0661A06: 裏門 ゑさし町より入
J19_0661A07: 西北道路 極樂水への閑道眞珠院の前より樹木の中
J19_0661A08: を通行
J19_0661A09: 常念佛堂 眞珠院持と云埼玉郡八條村大經寺にて云
J19_0661A10: 傳ふ當寺本尊は先年大猷院殿此村に御成ありし時
J19_0661A11: 御望みありて江城にうつし給ひけり今の傳通院念
J19_0661A12: 佛堂の本尊是なりと
J19_0661A13: 辨才天社 門を入左の方にあり別當昌林院
J19_0661A14: 新念佛堂 瑞眞院
J19_0661A15: 鎭守稻荷社 堂の右の方
J19_0661A16: 八幡社 裏門の方にあり別當景久院
J19_0661A17: 天正年中のことなりし一老翁八幡宮臨幸のよしを
J19_0661B18: 夢む翌日このところに八幡宮としるせし石の額を
J19_0661B19: 拾ひ得たり其のまま勸請して額を神躰となせしと
J19_0661B20: 景久院は富田景久といへるもの開基なり景久は元
J19_0661B21: 祿十年丁丑九月六日死戒名景久院殿穩譽可安居
J19_0661B22:
J19_0661B23: 澤藏主稻荷社 中門より右へ下り高き岡にあり石階
J19_0661B24: あり
J19_0661B25: 略縁記云昔駒込吉祥寺和田倉御門の内にありし時
J19_0661B26: よりかの寺に鎭坐ありし其のち十八檀林御定あり
J19_0661B27: し時當山御造營中興正譽廓山上人住職の時學寮の
J19_0661B28: 内に極山和尚といふ所化あり元和四年午〓四月あ
J19_0661B29: る夜山主上人を初めその外極山和尚同學僧へ夢中
J19_0661B30: の告ありて我は是吉祥寺に住する者也淨土の一宗
J19_0661B31: を明らめ學せん事を願ふ故明朝登山すべし願望達
J19_0661B32: し給へと告ありて翌朝極山和尚の學寮へ一僧來り
J19_0661B33: て謁見めり此事を山主へ申せは廓山上人も夢中の
J19_0661B34: 告の相合する事智道兼備の人なれば彼僧は權者な

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