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J2840 鎌倉光明寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0652A01: ○源蓮社然譽淸善は備中人賀陽氏筑後善導寺弟子に
J19_0652A02: て光明寺に來り訪宗尋要す後花洛に遊ひ二條樋口に
J19_0652A03: 善導寺又法雲寺を開立す慶長九年二月二十三日滅
J19_0652A04: ○敎蓮社傳譽一阿は城州八幡人相應院殿お龜方の叔
J19_0652A05: 父也鎌倉に在學し圓譽上人より宗傳を受得す歸國の
J19_0652A06: のち京に於て五條融大臣鹽竈要地の跡に寺地を乞ひ
J19_0652A07: 鹽竈山上德寺と名づく東照宮此事を聞し召寺を御建
J19_0652A08: 立被成下
J19_0652A09: ○唱蓮社深譽は天照の山下に法芽を增長し數數淨書
J19_0652A10: を精究し鎌倉安養院に主務として眞俗の棟梁也天正
J19_0652A11: 中京五條醒井泉水町にて安養院を開基し法流を花洛
J19_0652A12: に榮昌せしめんとす
J19_0652A13: ○信蓮社深譽は相模國小田原人鎌倉隨流上人代附法
J19_0652A14: 修傳し伊勢國一志郡小川村にて東谷山萬福寺を起開
J19_0652A15: し明曆二年正月元日化
J19_0652A16: 寺記云北畠源中納言具康卿開基多氣御所一族滅亡
J19_0652A17: 後都て諸開起寺院悉く廢絶
J19_0652B18: ○縁蓮社本譽は若狹人本寺彥根來迎寺眞譽弟子光明
J19_0652B19: 寺業譽上人輪下に宗戒の傳授を受寬永十九年近江國
J19_0652B20: 犬上郡尼子村に來應山壽昌院住專寺を開立し寬文五
J19_0652B21: 年五月十六日死五十五才
J19_0652B22: 新著聞集崇行篇云善貞法師は鎌倉光明寺學侶なり
J19_0652B23: しに後に洛陽知恩院に寓居せられし勝れたるを妬
J19_0652B24: む世の習なればむつかしき事ども多かりしを憂事
J19_0652B25: に思へるころ山主より寺賜らんと有しかばかくう
J19_0652B26: とましき世に何かせん早く名利を棄むにはしかし
J19_0652B27: と思ひ定めて餘財を捨おき唯金三兩をもち是は昔
J19_0652B28: 年より願ひありて伊勢太神宮に奉納し夫より信州
J19_0652B29: 善光寺にさすらひ行て乞食せられしを所の人人情
J19_0652B30: 深く交りて齋などまゐらせ布施物を備れどもふつ
J19_0652B31: に受得たまはさりし齋米とてまゐらすれは一度の
J19_0652B32: 用ほど殘して外は乞食にとらせられぬ其さまいや
J19_0652B33: しからぬ人なりといと惜みて庵を結ひ參らせし同
J19_0652B34: 國松本より舊友のとある僧來りとひ侍りしに語り

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