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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0565A01: 自一時名儒稱之不厝則詩名藉甚於公卿縉紳之間
J19_0565A02: 殆至將以此蔽其實行也有集既行於世師名實已高
J19_0565A03: 躬居顯職總宗綱紀然而不挾貴重以格物誘納後進
J19_0565A04: 謹厚衆庶翕然風靡焉企望於異日其建法幢主宗盟
J19_0565A05: 久矣而師罹疾竟以不起矣實明和壬辰四月十七日
J19_0565A06: 五十二臘三十六葬于縁山墓地矣衆庶痛惜焉至廢
J19_0565A07: 寢食惠頓締交四十年於玆悲嘆尤甚遺弟圓諄因需
J19_0565A08: 其碑銘乃爲之銘銘曰 特禀精氣智識淹通耽思墳
J19_0565A09: 典成志遂功起應選擧丕抉宗風恪勤不怠翼亮誠忠
J19_0565A10: 游戯萟宛英才擅雄雅致風韻斯天所縱道業内薰克
J19_0565A11: 有取終美哉名實百世無窮
J19_0565A12: 右の外にもあれどここに略す△性高院殿殉死四士の
J19_0565A13: 法諱並に榊原氏の碑文其外法名墓銘とも後篇に出す
J19_0565A14:
J19_0565A15:
J19_0565A16:
J19_0565A17:
J19_0565B18: 三縁山志卷十二
J19_0565B19: 會下三島中谷攝門編
J19_0565B20: 第十二外境屬地
J19_0565B21: 御當山御造營の後境内の外に地所を賜りしかば遠近
J19_0565B22: に散在せりその中に轉地所替もありて年月詳ならぬ
J19_0565B23: もあり又委くしるすにさはる事もあれは其大むねを
J19_0565B24: ここに記すのみ
J19_0565B25: ○門前
J19_0565B26: 大門前或記云永享の末圓山の西麓のあたりの沼を埋
J19_0565B27: み陸となし飯倉村の中にわかれて民すみけるを御當
J19_0565B28: 山此地に御引移し境内となりしかは其所の民を表門
J19_0565B29: 前へ移され大門前と稱す今表門の南の町のみ殘れり
J19_0565B30: ○片門前二町中門前三町
J19_0565B31: 何れも國師の代より西は櫻川に連り東は濱松町新道
J19_0565B32: をさかひとし南は赤羽川に距み北は大門通に接す
J19_0565B33: ○富山町
J19_0565B34: もと山内の地なり其後表門通り町へ代地を下されし

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