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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0559A01: かためて菩提の種を斷に似たりしかじわれ速に家
J19_0559A02: にかへりて父母に孝養をつくし國主に忠勤をはげ
J19_0559A03: まして姿は維摩にひとしく心は佛果を期すへし夫
J19_0559A04: 棄恩入無爲は眞實の報恩なり出家して其德流を淸
J19_0559A05: め四恩を報せんとして宗燈をかかくるは實に可な
J19_0559A06: り然れとも末弊宗宗にきそへりわきて當山の席を
J19_0559A07: 務る僧はみな慢鼻高長にして他を蔑如し財利を心
J19_0559A08: として慧をたすけず故にたまたま扶宗の志を泰山
J19_0559A09: につくせる輩もこれが爲にくづれ廣法の思ひを深
J19_0559A10: 海にさたせる正心も失ふに及へり財なけれは文才
J19_0559A11: の雅匠も住にたよりなく利を見ては闇愚の盲徒を
J19_0559A12: も席にすすめり悲へし悲へしここに當宗のかたじけ
J19_0559A13: なさとして後生を思へは彌陀覺王の哀愍深くまし
J19_0559A14: まし光明遍照の月は衆罪輪廻の迷を濟照し十劫正
J19_0559A15: 覺の花は衆機欣求の胸に開く現在の恭しきを仰け
J19_0559A16: ば東照神祖の慈光遙に制して東鄙西邊の里民をと
J19_0559A17: はずして僧綱紫服の高職にのほる然るに僧徒是に
J19_0559B18: ほこりて學解をつとめず席務を執して能をいれず
J19_0559B19: 師速に是等をさとりて心をつつしみ他評を論ぜす
J19_0559B20: して身をきよめ念念作作眞の佛子たるへしと法言
J19_0559B21: 時をうつして袖をひかゆる時一陣の朝風墓前に音
J19_0559B22: して目前の僧形林陰によぎれり已下略
J19_0559B23: 開山中興并代代山主の墓を始め一山先亡後滅緇素の
J19_0559B24: 碑あり
J19_0559B25: △英隆院殿運譽豪翁覺了大居士
J19_0559B26: 正次 阿部善九郞 備中守 從四位下 生參
J19_0559B27: 州母江原氏慶長五年家督五千石御書院番頭加
J19_0559B28: 總州一宮五千石同十五年於下野鹿沼加五千
J19_0559B29: 石同十六年大番頭大阪兩陣率組歸陣後加七千石
J19_0559B30: 元和三年加八千石合三萬石爲上總大瀧城主元和六年
J19_0559B31: 小田原城五萬石同九年武州巖槻城加五千石爲執
J19_0559B32: 政職寬永三年大阪御城代加三萬石合八萬五千石外月俸
J19_0559B33: 七百五十人ふち内五萬石勤大阪軍役五月六日入大阪城正
J19_0559B34: 保元年十月十五日從四位下同四年十一月十四日

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