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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0532A01: 止景行行止あたはずといへどもこれにむかひ往者は
J19_0532A02: 其唯會下の衆徒歟孰かこれをうらやまざらん
J19_0532A03: 開山酉譽上人より十一世圓譽大和尚迄は勅許香衣の上
J19_0532A04: 人なり十二世源譽上人の時に至り慶長四亥年九月六
J19_0532A05: 日紫衣を賜へり是神祖の奏に依てなり夫れ紫は禁色
J19_0532A06: にして和漢各各わかちあり唐には則天の朝法朗に紫
J19_0532A07: 袈裟を賜り大曆三年惠崇に紫服を賜へり『史畧下』『事物紀原七』卅
J19_0532A08: 六我朝には天平七年玄昉『續日本紀』十六に賜り道鏡を魁首と
J19_0532A09: せり淨家には後宇多帝より記主禪師に紫衣を賜り
J19_0532A10: 記主は光明寺開山なり後嵯峨院後深草院の二帝の戒師たりしかば國師の盛諡あるべかりしを其比建長寺開山道隆に大覺禪師と給りしか
J19_0532A11: ば門徒それを羡仰し禪師號を奏願せしとなり國師禪師の優劣を辨へざりしにやいと殘り多き事なりける後淸淨花院
J19_0532A12: 慧照國師にも給へり明應四夘年光明寺八世觀譽祐崇
J19_0532A13: 上人へ永紫衣の綸旨を賜へり此外堺旭蓮社開山智演に大菩薩號紫衣を賜河内國佐多來迎
J19_0532A14: 寺開山誠阿西願に南朝後村上帝より紫を賜ふ美濃立正寺(西山)智通に大菩薩號紫衣を賜ふ是等を始とし當今一宗に三十ケ寺に及へり
J19_0532A15: 是等を始とす慶長十三年永代常紫衣の綸旨を賜り同
J19_0532A16: 十五年七月十九日國師の恩榮あり
J19_0532A17: 『僧史略中』四十左云西域法推重其人内外攸同正
J19_0532B18: 邪倶有昔尼犍子信婆羅門法封爲國師内則學
J19_0532B19: 通三藏兼達五明擧國歸依乃彰此號聲敎東
J19_0532B20: 漸唯北齊有高僧法常初演毗尼有聲鄴下後
J19_0532B21: 講涅槃並受禪敎齊王崇爲國師國師之號自
J19_0532B22: 常公始
J19_0532B23: 夫國師は僧官の最頂一朝の師德なり我朝花園院聖一
J19_0532B24: に始り『元亨釋書淨禪篇』淨家にては後醍醐天皇元應二年花頂
J19_0532B25: 山如一上人に佛元眞應智慧國師と賜ひ『翼賛』五十二『鎭流祖傳』『列祖傳』
J19_0532B26: 『惣系譜』『往生傳』『知恩院記』『知恩寺記』又黑谷等熈上人は後圓融後小松稱
J19_0532B27: 光三帝戒師たるゆへに佛立慧照國師と賜『雍州府志四』卅六これを淨
J19_0532B28: 土の始といふは非なり知恩寺善阿空圓上人には普寂國師と諡し『知恩
J19_0532B29: 寺記』西山善慧上人には彌天鑑智國師と諡賜あり『禪林寺記』『圓
J19_0532B30: 福寺記』『粟生光明寺記』此外には宗門に此賜號あらずただ慈昌大
J19_0532B31: 和尚は是等に卓出せし無比の國師なり前例後證誰か
J19_0532B32: 同日の論を成むしかのみならず元和元卯年七月三十
J19_0532B33: 五箇條の台制を賜り一宗の惣錄に補せられける故に
J19_0532B34: 眞俗の法務當山より起りて鴻憲一宗の主職たり

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