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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0524A01: 脱居士といふ武藏國府中の藪村律院に葬る是遺言によれり此後統譽公瀧山よりの往來ごとに墓參せらる 神道の達士
J19_0524A02: あり是に隨從する事六年尚しばしば東叡山の學寮に
J19_0524A03: 入り天台の部書を聽講す翁の推擧により京地に至り
J19_0524A04: 湛慧信培律師の門下に入りて律學規範を專行せらる
J19_0524A05: 此時律師門下數百の内にて慈光、篤平、培元、圓宣、を
J19_0524A06: 四哲と稱譽す未だ沙彌戒たりし時依田翁官金數枚を
J19_0524A07: 送り附して綸旨を拜戴せしめ上人と號す修學解功な
J19_0524A08: りて後錫を縁山に歸向し貞現上人の資嗣となり跡寮
J19_0524A09: を持補す三席の階昇月行事の席列を越明和八卯年十
J19_0524A10: 二月廿五日學頭職に補し同九子年正月十九日袋谷
J19_0524A11: へうつり同年十月五日大善寺に住せらる安永九子年
J19_0524A12: 八月廿四日大光院に移り天明四辰年九月二日傳通院
J19_0524A13: に轉し寬政二戌年四月十九日縁山に貫主たり今年秋
J19_0524A14: 臨時に命ありて登營し一山の淸律範締の規新たるを
J19_0524A15: 褒し時服二重御紋の袈裟を賜ふ同十一月一宗五重兩
J19_0524A16: 脈の入行の新制を達せられ敎授書を定らる師常に
J19_0524A17: 梵行稱念いとまなしといへども又末徒を哀憐し著述
J19_0524B18: の書少からす『打磨論』『悉曇初學抄』『傳書五重辨釋』
J19_0524B19: 『起信義記講錄』『天台戒疏講錄』『觀經妙宗鈔講錄』
J19_0524B20: 『異部宗輪論述記講本』此二書は席役再講の談〓なり『廣統錄』其外法
J19_0524B21: 問筆記の拔撰何れも法孫他流許用信可し師の厚澤に
J19_0524B22: うるふもの多し同四子年四月より患恙ありて退職し
J19_0524B23: 麻布一本松に隱移し五月二日遷化春秋七十五
J19_0524B24: 讃云酌焉不竭擊則斯鳴學統三藏道濟群生宜哉
J19_0524B25: 殊遇蓮門光榮
J19_0524B26: 法系
J19_0524B27:
J19_0524B28: 檀説乘蓮社大譽 初靈山寺 次常福寺 後光明寺三十八主明曆二申年三月廿九日寂六十五歳 檀察秀蓮社馨譽 初靈山寺 常福寺 後傳通院廿六主述『秀馨記』元文三午年九月廿七日寂 傳通山内處靜院開基 中門新建立 貞現栴蓮社大僧正檀譽 初幡隨院 大光院 光明寺 花頂山五十七主 安永九子年九月廿四日壽七十八 圓宣○

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