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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0511A01: より隱逸遁世の志ありといへども慈眼惻隱群生を濟
J19_0511A02: 度し大法を公布せんの忠恕を換ずして再ひ縁山にか
J19_0511A03: へり學徒につらなる享保五子年年四十臘二十五椽班同八卯年
J19_0511A04: 扇間席に入翌辰年中谷に寮をもち同十一午年一字
J19_0511A05: 班に轉し元文元辰年月行事の職にいるかつて初學の
J19_0511A06: 爲『圓戒略撰』『圓戒啓蒙』を著述し又遍く大戒を西京
J19_0511A07: の靈空宗覺慈空靈潭等の諸德に重受する事五度故に
J19_0511A08: 觀徹上人江戸崎大念寺に住主せられしかと猶師を請
J19_0511A09: し受戒作禮せらる元文五申年奉命弘經寺に住す居る
J19_0511A10: 事六年年六十一﨟四十五此間俊能老師を仰請し孝順奉事す又資財を寺に附屬し嬰兒を鞠養せしめ佛種法芽を增進せしむ
J19_0511A11: 延享二丑年大光院に轉す寬延三午年十二月又傳通院
J19_0511A12: に移職す住四年寶曆三酉年十一月廿八日縁山に升主し
J19_0511A13: 大僧正に任す年七十四﨟五十八この時我宗の傳戒廢寥せるを悲
J19_0511A14: 憤しつとめて舊範に復し法式ひたづら十二大門によ
J19_0511A15: る又戒光を永輝し律塲を創起せんとしすなはちかり
J19_0511A16: に幡龍寺を驪丘に經營し東奧の不能和尚を請し住せ
J19_0511A17: しむ師かねて別に律寺を開立せむと欲せられしかどはたされず遷化ののち敎意等師の資子千如等を左右とし遂に長泉律院を目黑村
J19_0511B18: に建つ山水幽雅淸閑無比ならしめ師を開山始祖と仰く寶曆六子年八月四日の朝將に終
J19_0511B19: むとするをしりて説偈す
J19_0511B20: 七十七年夢 忽覺還西天 無礙光明裡
J19_0511B21: 瞻仰彌陀尊
J19_0511B22: 八十まで久しくかりしかりの身を
J19_0511B23: かへして今は西へゆくなり
J19_0511B24: 既にして勵聲念佛し安祥として遷化す荼毘の時舍利
J19_0511B25: を得舌根燒壞せず戢化の夕緇素好相を拜するもの多
J19_0511B26: 舌根舍利ともに今現に影像と共に長泉院に安置す師生涯遺文惟多し別傳一卷世刊行其中
J19_0511B27:
J19_0511B28: 題義山良照大德肖像
J19_0511B29: 學富内外道極淸高晦迹華頂布澤海隅澆末
J19_0511B30: 之寶炬蓮門之周鼎誰謂之不然哉
J19_0511B31: 題佐倉正亮矦百城圖
J19_0511B32: 舒則百城江山卷則一軸琅玕造化無盡藏吾心一以
J19_0511B33: 貫之善財百城英雄門門自家眞人禪觀若圓明
J19_0511B34: 處塵不汚塵

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