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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0501A01: 本口にて戰功ありしかと國亡ひしかは千葉の主家八
J19_0501A02: 千勢騎の加勢もみなみな思ひ思ひに歸國浪人しけれ
J19_0501A03: は胤明は佐倉の近き所飯田村に住隱其子二人長子七
J19_0501A04: 郞三郞後孫右衞門と改め家をつぎける舍弟七九郞ひ
J19_0501A05: そかに武術修行し再ひ國主先亡の會稽をもそそかん
J19_0501A06: と能き主人を求めけるにみな豐殿下の制をそむくの
J19_0501A07: 將なかりしかは今はたよるに人なくよるに樹陰なき
J19_0501A08: 心地して諸國の靈塲に詣て家運の再興をいのりしか
J19_0501A09: と天運時至らざるにや其甲斐もなかりしに寬永廿年
J19_0501A10: 六月年五十にちかく伊勢國に打こへけるに病をうけ
J19_0501A11: 行さきさへ定まらぬ心ぼそさに山田の神職なるもの
J19_0501A12: のうち一人其武術の双びなきをめでいつくしみて病
J19_0501A13: をいたはり數年逗留のうち女なるものになれそめし
J19_0501A14: かは系氏のつたなからぬをよみして此所にとどむ慶
J19_0501A15: 安元子年正月此女一人の男子をうむ此子いとかしこ
J19_0501A16: く愛深かりしによく年の三月父七九郞胤詮死しけれ
J19_0501A17: は家主是をふびんがりて家をもつがせまく思ひしか
J19_0501B18: と所の掟として神孫をあがめ他氏をいやしむ風あり
J19_0501B19: けれは此子七才の時蓮花谷に剃髮せしむ是より江戸
J19_0501B20: に下り修學功をかさね德﨟人望にかなひ論議精密な
J19_0501B21: りしかは貫主詮雄上人もとより結縁のちなみなれは
J19_0501B22: 改めて資弟とし詮察と改名す始觸光天和二年師の上人
J19_0501B23: 蓮溪に隱栖の時も隨從ししばらく保護侍衞し遷化の
J19_0501B24: 後再ひ江府に歸り修學念念に究暢し一山の學頭に擢
J19_0501B25: で命を奉靈岸寺に住し次に大光院にうつり又光明寺
J19_0501B26: に轉し正德四年六月廿八日縁山に貫主とし即席大僧
J19_0501B27: 正に任せらる十月文廟三回御忌萬部大會御導師をつ
J19_0501B28: とめらる壽七十七享保元申年四月十七日東照大君百回御
J19_0501B29: 忌補佐幹事の異奏によつて自修の千部本堂に修行あ
J19_0501B30: り同月晦日大將軍家繼公御他界ましましけれは師これ
J19_0501B31: か大導師として中陰御法會にも大導師をつとめら
J19_0501B32: る同二酉年二月六日黄疸の病氣起りけれは同三日
J19_0501B33: 退居の願を土井伊豫守に奏す同十五日御免の上使松平
J19_0501B34: 對馬守上井伊豫守十七日一本松に隱栖し三月十八日歸寂す壽八

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