浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0468A01: | の像は玉眼にていととふとき面相曲錄にかかれり |
J19_0468A02: | 是は紀伊菩提心院殿より納られしと云毎年正月廿 |
J19_0468A03: | 四日より二夜三日の修行あり威嚴の靈像なり以下略 |
J19_0468A04: | 第十三世 定蓮社正譽上人一實廓山大和尚 |
J19_0468A05: | 甲斐國の人父高坂彈正昌信二男永祿二未年五月三日 |
J19_0468A06: | 八代郡市部村の館にして誕生し幼稚より四書五經の |
J19_0468A07: | 外敎を訓練し兵書弓馬の道器をみちびき敎るに一を |
J19_0468A08: | 聞て十をさとるの才あり父母鍾愛し親族寵重すこの |
J19_0468A09: | 年比大守信玄父子諸國に軍兵を出し攻戰日日につづ |
J19_0468A10: | きて晝夜安閑なる事なく信濃上野の戰毎に父隨はす |
J19_0468A11: | といふ事なし諸方に大將として頗る牙將の名あり |
J19_0468A12: | この時兒童人の死骸を見て世の非常をおもひ頻に出 |
J19_0468A13: | 塵の志を起し父母に出家を乞求めしかと武門棟梁の |
J19_0468A14: | 家として是を許さす元龜三申年三月十四歳にして國 |
J19_0468A15: | 府の尊體寺にいりて剃度を求め朝晩内敎を學ひ聖淨 |
J19_0468A16: | の二門にわたりて後雲譽公の門下に熟學す其性俊朗 |
J19_0468A17: | にして辯論の英秀一時に高く老少の緇徒敬重せすと |
J19_0468B18: | いふ事なし後國師を師とし事へ隨學するに國師愛重 |
J19_0468B19: | し優才卓量を嘉美し座下をなはれしめす同門了的と |
J19_0468B20: | 共に四時の對論法談止時なし大御所大樹常に座下に |
J19_0468B21: | めされ御寵榮あり慶長十二年秋九月より日蓮の事あ |
J19_0468B22: | りて法論あり勝利の法戰は金城に規望たり |
J19_0468B23: | 『四度宗論記』十七已下云慶長十二年秋九月於尾州熱田 |
J19_0468B24: | 縣從日蓮義常樂院日經不受不施以四十四年未顯眞實之 |
J19_0468B25: | 文淨經是妄語不成佛焉又念佛是墮獄焉即交麁語呈 |
J19_0468B26: | 幹墨遣熱田正覺寺澤道和尚室澤道叵閣而依倚淸 |
J19_0468B27: | 須性高院玄道和尚玄道不得止而告于增上寺存應大 |
J19_0468B28: | 和尚大和尚因爲一宗僧錄司達此事於 上聞因玆定 |
J19_0468B29: | 宗論也論日以同十三年十一月十五日焉上足廓山望 |
J19_0468B30: | 論質焉此時年三十八了的指添焉法事奉行大長寺曉譽上 |
J19_0468B31: | 人源榮執筆光嚴寺單譽專想上人矣至當日日經遲遲 |
J19_0468B32: | 應召而書錄大衆參列候坐 |
J19_0468B33: | 左 |
J19_0468B34: | 增上寺正譽上人廓山 常樂院日經 |