浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0461A01: | 傳』等并に『開山別傳』『中興國師書傳』恢譽上人 |
J19_0461A02: | の記其外諸家の庫書系譜又は他師附傳又は小説野 |
J19_0461A03: | 史の中より拔出する所也 |
J19_0461A04: | 十二世中興 貞蓮社源譽上人普光觀智國師存應慈 |
J19_0461A05: | 昌大和尚 |
J19_0461A06: | 姓は由木氏天文十三年『護國篇』に天文十丑年誕生とあるはあしし辰正月十日 |
J19_0461A07: | 武藏國崎玉郡由木に誕生あり父系其外は第一の卷に出父祖武門の |
J19_0461A08: | 累業を傳へ七黨の魁首たるを以弓馬の敎をつくさん |
J19_0461A09: | とす然に故ありて十歳の時護國篇に十五才にして寶臺寺感譽の弟子とあるは非なり同 |
J19_0461A10: | 國新座郡片山村太平山寶臺寺にいりて蓮阿を拜し剃 |
J19_0461A11: | 髮す其頃は遊行の流を傳へ淸淨光寺に隸師後鎭西流に改十八 |
J19_0461A12: | 才にして縁山感譽此時いまた大長寺に住の室にうつりて白旗の正 |
J19_0461A13: | 義に歸學ありもとより謙遜に德を縮め洪志を抱て扶 |
J19_0461A14: | 宗を任とす永祿の末武藏國川越蓮馨寺にありて南光坊と論議あり城主大導寺駿河守是より大に歸依常に招請問法有 |
J19_0461A15: | 天正二年同國上簑に至り長傳寺を創立す今は與野町にあり學徒 |
J19_0461A16: | つゐに百口に及ふ凡諸宗の奧旨を窮め論難を辨折す |
J19_0461A17: | る事自他宗にならぶものなし同十一年十月十八日勅 |
J19_0461B18: | して香衣上人を賜り長傳寺名又生實大巖寺四世岩瀨大長寺二世 |
J19_0461B19: | に住務説法し同十二年高僧傳には十七年八月とあり五月二日雲譽圓 |
J19_0461B20: | 也上人の輪下にして大長寺より增上寺第十二世とな |
J19_0461B21: | り學徒を領會すみな師の高操陰默にして大志密德 |
J19_0461B22: | あるを知りて自他宗の智龍の義虎負笈輻湊し常に法 |
J19_0461B23: | 幢をたてて玄風をあふく同十八年寅四月豐太閤小田 |
J19_0461B24: | 原城攻の時武相兩國の鴻刹の住持を召れ其寺列によ |
J19_0461B25: | りて軍勢甲乙防非の禁札をたまふ同年殿下奧州攻 |
J19_0461B26: | 征の時御陣所に命せられ法話問議ましませり此時神 |
J19_0461B27: | 祖其高風を感覽ましませりとそ同年八月御入國關左 |
J19_0461B28: | 八州を主領したまひし時御顧恩によりて永く師檀の |
J19_0461B29: | 御契約ましませり慶長三戌年八月寺地を貝塚より日 |
J19_0461B30: | 比谷の邊に今の地なり移したまふ同四年九月六日紫衣を |
J19_0461B31: | 賜ふ同十巳年本堂三門經藏表門同橋伽藍等御建立寺 |
J19_0461B32: | 領千石一切經三部寄附し給ふ此時登城又は寺に入御 |
J19_0461B33: | あり又宗義法制の御諚許ましませり同十三年十一 |
J19_0461B34: | 月十二日神君の御執奏により永く紫衣を着すへきの |