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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0460A01: 相模國鎌倉郡岩瀨郷に於て大超寺を建立し又深谷に
J19_0460A02: 專念寺をひらく永祿六亥年師壽四十三にして四月璽
J19_0460A03: 書を貞把上人につたへ大超寺後神祖君の命により大長寺に改むより縁山
J19_0460A04: 十世となり學徒を糾か爲に淸規三十三條を制す是
J19_0460A05: より家風益煽に起す文祿九寅年辭職退山し安閑念佛
J19_0460A06: 怠りなく同二戌年微恙に罹り五月十八日別に門徒に
J19_0460A07: 告て學則勵策し又出離大事を勸進ありて傳法傳戒弘
J19_0460A08: 通まてを遺言し手に香爐をとり念佛數遍安祥として
J19_0460A09: 寂す世壽五十三 今師を傳法一流の祖とす
J19_0460A10: 第十一世 秀蓮社雲譽上人圓也大和尚
J19_0460A11: 筑後國柳川の産菊地武俊の後裔姓中西氏或云周防國大内家の藩黑川
J19_0460A12: 刑部少輔の子也父並一族ともに同藩陶晴賢入道の爲に大守と共に討死ありし後母山中にかくれ農夫のためにたすけられ二月にして生産
J19_0460A13: 本氏を人にかたらず幼稚より法器卓英にして能道俗
J19_0460A14: を化す故に至所其高風を仰く功成學熟し諸國を遍參
J19_0460A15: し名匠知識の名あるを聞ては戒臘の淺深をいはずみ
J19_0460A16: な拜して玄要を試問すたまたま伊勢國の白子に至り
J19_0460A17: 悟眞寺に住し六世の法燈をかかけらる又何となく辭
J19_0460B18: 職遊化し關左に移り叢林に入て規則を明了せらるる
J19_0460B19: に芳名俊德つつむにあまりありて衆徒の選擧辭るに
J19_0460B20: あたわずして永祿九寅年十月四日相模國大長寺より
J19_0460B21: 縁山十一世に昇住あり天正十午年十一月火炎により
J19_0460B22: 寺内燒失すこれより三界無安の厭心いよいよふかく
J19_0460B23: 六趣妄業の軀質愛すべからずを觀解に堪ずして同く
J19_0460B24: 十二申年八月山下に天光院を開基し本刹を源譽公に
J19_0460B25: ゆづりて天光院に隱栖し往生の業務を精修し一心に
J19_0460B26: 三尊の迎接を待しかるに慶長の始御當家御師檀の御
J19_0460B27: 約定を源譽に仰ことありしかは寺門繁榮せしにそ老
J19_0460B28: 後の法樂をなかはにして同十二未年九月五日歸寂あ
J19_0460B29: 國師へ御師檀の約定仰出されしのちは隱栖の身なりしかと台顏を拜し奉り拜領獻上の事などもありとなむされは麾下の士も仰き敬
J19_0460B30: ひ末寺子院も敬禮をつくせりとなむ老榮知ぬへし
J19_0460B31: 右十一代は開山より凡二百年餘事蹟不詳といへと
J19_0460B32: も所傳諸書に散在あり今は『東國高僧傳』『本朝淨
J19_0460B33: 土高僧傳』『淨土列祖傳』『本朝高僧傳』『淨家總系
J19_0460B34: 譜』『縁山歷代記』『新撰往生傳』『大長寺記』『音譽

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