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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0445A01: 慈辨勝蓮社賢譽天明三年八月廿一日 旭天成蓮社辨譽 三州大恩寺住寬政七年十一月十八日 勝縁現蓮社境譽 小石川無量院住文化十五年正月十八日 慈航
J19_0445A02:
J19_0445A03: 持寮系 中古
J19_0445A04:
J19_0445A05: 察音 天淳 堅意 見雅 大忍肇蓮社禪譽品川法禪寺住 後入律 勝縁小石川無量院 勝瑞源壽院住 慈航
J19_0445A06:
J19_0445A07: ○積累室
J19_0445B08: 慶安年中脇坂氏後室慶光院當寮主圓長に歸依せられ
J19_0445B09: 命果の後當山に葬せられしより周光院堅譽妙淸大姉寬文五年十月九日
J19_0445B10: 信濃國飯田來迎寺に葬せられしかど牌を當寮に安置
J19_0445B11: せらるそれより今に至りかの家の宿坊をつとむ一説
J19_0445B12: 云圓長はもと信濃國上穗の産にして飯田來迎寺の弟
J19_0445B13: 子として當山に掛錫し説法に玄妙を得て諸方を巡勸
J19_0445B14: ありしとなりさればしばしばかの家にもまねかれ女
J19_0445B15: 儀方の前にて説法勸化ありしにや事蹟代代の譯詳な
J19_0445B16: らず
J19_0445B17:
J19_0445B18: 當寮主近世の名 明和年中前不詳
J19_0445B19: 圓定 成嚴 圓長非明曆時之師 連貞四谷淨運寺 圓珠 高歡品川法禪寺住 輪常此時燒失再與後同〓蔡華樓へ移 圓珠淺草龍寶寺住

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