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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0427A01: ○最澤室 三島谷東側南角
J19_0427A02: 澤雲もと南中谷に持寮あり其比富澤町に川口氏五郞
J19_0427A03: 左衞門妻稻葉内匠頭正通朝臣の奧貞操院に仕へけるに本
J19_0427A04: 堂へ參詣の時貞操院と共に立より法話ありしのち時
J19_0427A05: 時かの方へもめされ説法あり其ころ本所へ五百羅漢
J19_0427A06: 建立の時節なりしかばかねて貞操院にも一躰のここ
J19_0427A07: ろさしあらせけれは幸ひ當寮の本尊建立あらせなば
J19_0427A08: 永世加行中も恭敬回願叮重たるへきむねをのべしに
J19_0427A09: ぞやかて建立あられ一家の法名を記し腹籠とし又正
J19_0427A10: 躰へも書付彩色あり泰應元如居士の位牌をも納めらるつゐに佐橋氏犬氏
J19_0427A11: など丹後守正知朝臣尊德院に申入宿坊と定られけれど
J19_0427A12: 地所狹くして用辨かたかりければ湛譽大僧正に事を
J19_0427A13: のべ三島谷今の地卓春の跡へ引移りありし也其比正
J19_0427A14: 通朝臣には靑山の邸にて法花法問を聞へきなとこは
J19_0427A15: れしかば法源寺冏天融譽圓茂今戸心光院珍瑞をつれ
J19_0427A16: 眞如廣大の法問を問答し三界唯心の説法あられける
J19_0427A17: に歸依いよいよ深く子息の中には五重相傳を受られ
J19_0427B18: けるもあり其後最勝院に入院ありしかは松譽大僧正
J19_0427B19: より圓茂へ跡寮賜りしに翌年十二月廿八日朝愛宕下
J19_0427B20: よりの出火三島町神明町の町家にうつりそれより山
J19_0427B21: 中に移り燒失す翌年寮普請にかかりけるに其翌年圓
J19_0427B22: 茂長病にて六月廿二日寂す同十二未年十二月十日愛
J19_0427B23: 宕下藥師堂よりの出火に又燒失あり其後は普請も手
J19_0427B24: かるにていにしへの時にことなり是より代代法孫に
J19_0427B25: つたへり
J19_0427B26: 澤雲
J19_0427B27: 上人澤雲姓者釜谷河陽丹南郡黑山人也幼到攝泉之
J19_0427B28: 堺濱受宗敎於泉敎寺行譽上人而落髮焉而游學縁峰
J19_0427B29: 既三十五霜矣享保元年丙申十月廿三日頻蒙大僧正
J19_0427B30: 松譽上人嚴命爲崇源院殿護宮住持最勝院焉乃在守
J19_0427B31: 務春秋二十享保十九年甲寅隱跡〓林晨夕忘疎稱名
J19_0427B32: 無倦終滿三億元文五年庚申仲春二十四日聊無病患
J19_0427B33: 端座合掌示寂焉行年八十二也先是弊師竊惟來裔倦
J19_0427B34: 貧廢學乃㢡使稻葉氏再建弊茅舍且附與糧米沙金若

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