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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0380A01: 千譽天光院へ移 良田行蓮社法譽文化十三ノ正月六日
J19_0380A02:
J19_0380A03: ○聲明
J19_0380A04: 月氏に五明あり。聲明・醫方・因明・工巧・内明
J19_0380A05: なり聲明其一にして支那偏に此を取て梵唄といふ魏
J19_0380A06: 武帝曹操第四の子曹植陳思王魚山に遊て空中の梵響を
J19_0380A07: 感しいよいよ法應を悟り其聲節を摹寫して梵唄とす
J19_0380A08: 『法苑珠林讃嘆部』本朝遠く支那の名によらず號を西天に取て
J19_0380A09: 聲明の號をたつ延曆二戌年十一月梵唄を正すの詔あ
J19_0380A10: 勅曰梵唄讃頌雅音正韻以則眞乘以警俗耳比來僧尼讃唱動則哀蕩呌吟曲折反態似衒技藝頗近鄭衞有司往諸寺告戒濫唱
J19_0380A11: 云云承和二卯年正月弘法大師密學精究の年度に聲明の
J19_0380A12: 度をたつ遍照寺寬朝大僧正又密唄に名あり慈覺大師
J19_0380A13: 赤縣に遊ひて此業をつたへらるしかしよりこのかた
J19_0380A14: 寰宇に流散す覺師より智證大師相應上人淨藏貴所慈
J19_0380A15: 惠大僧正源信僧都覺超僧都懷空寬誓良忍と相承あり
J19_0380A16: 忍師大原山に居してより盛に此業を唱へ法事の莊儀
J19_0380A17: とせらる此時數派分流の異ありしを博く學ひ總て正
J19_0380B18: 音を製す故に譜光明を感し韻神護をうく是より大原
J19_0380B19: を梵唄の塲本とし瞻西尋宴より繼譽相つぎて卒土に
J19_0380B20: 流布す已上『釋書』意我淨宗の祖空大師亦是に精く法要の儀
J19_0380B21: 規となし給へりしより洛下の門末子院の住僧務め策
J19_0380B22: 事都下にあまねし故に精深進譽のものもともしから
J19_0380B23: ず東照宮又是を愛重好聞なし給ひしかば駿城江營に
J19_0380B24: てよりより花洛より其淸哀正亮の僧を召させられ聽
J19_0380B25: 聞なし給へりしより台祖猷廟にいたらせ給ひても猶
J19_0380B26: 祖廟御追福御年忌毎に是をめされ必す莊嚴の儀式を
J19_0380B27: 添給ひ其度毎にめし下されしかは洛東の地僧いよい
J19_0380B28: よ業をはげみ律を改む其後酒井雅樂頭忠世朝臣の沙
J19_0380B29: 汰として寬永中京黑谷より下向せしめられしかは山
J19_0380B30: 内の子院に住し傳業稽古のもの兩三輩相つぎて名あ
J19_0380B31: り其後廿三代遵譽貴屋上人承應二巳年柳營に奏せら
J19_0380B32: れ花洛に遊化し傳は本傳に載大原寺向の坊權大僧都惠隆は
J19_0380B33: 當世聲明に名ありしかはこれをめされ外に大原にす
J19_0380B34: める僧又は新黑谷の寺中をはじめ都鄙に名たたる地

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