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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0291A01: 『智堂大僧正記』云阿彌陀如來の尊像一軀御長貳
J19_0291A02: 尺三寸五分佛師安阿彌又は毘首羯磨の作と申傳へ
J19_0291A03: 候抑此尊像の由來を尋るに往昔幡隨意白道上人切
J19_0291A04: 支丹對治蒙仰候節護持祈願仕候故其後東照神君樣
J19_0291A05: 御在世の時は今增上寺に御安置の黑本尊と共に御
J19_0291A06: 陣營迄も被爲遊御安置常常被遊御持念候本尊なり
J19_0291A07: 其後黑本尊をは台德院樣へ被遊御附屬此本尊をば
J19_0291A08: 御姬君阿女の御方へ御讓り姬君御一生の間被遊護
J19_0291A09: 持候此姬君は台德院樣の被爲成御養女はじめは蒲
J19_0291A10: 生飛驒守氏郷に御嫁付後また淺野但馬守長晟に御
J19_0291A11: 再縁あり元和三巳年八月晦日伏見の御城に於て御
J19_0291A12: 逝去故京新黑谷金戒光明守に御送葬あり御法號を
J19_0291A13: 昌淸院殿英譽杲悅善芳大姊と申奉る此姬君御母公
J19_0291A14: は武田信玄の息女寬永十四丑年三月十二日江戸東
J19_0291A15: の御丸にて御逝去淺草西福寺に御納り御法名良雲
J19_0291A16: 院殿天譽壽淸大姊と號し御廟塔有之此御方は別て
J19_0291A17: 神君樣の御意に叶はせ給ふ故台德院樣に至りても
J19_0291B18: 格別の上意思召を以て常に東丸に住居したまふ故
J19_0291B19: に東丸樣と稱せし由右御親子の御因縁を以て昌淸
J19_0291B20: 院樣御臨末の砌此尊像を御母公良雲院樣へ御讓り
J19_0291B21: あり相續き尊崇したまふ所元和九年昌淸院殿御七
J19_0291B22: 回忌の時台德院樣の上意にて淺草西福寺に昌淸院
J19_0291B23: 殿の御廟塔を新に御建立の上大法會執行被仰付永
J19_0291B24: 代御供養料として寺領百石御朱印被下置候御法事
J19_0291B25: の導師は時の住持正譽意天と申幡隨意白道上人の
J19_0291B26: 弟子則西福寺第五世なり右御法事の内或日良雲院
J19_0291B27: 樣にも被成御參詣住持意天を御召出し御對面種種
J19_0291B28: 法話御聽聞の上此尊像御傳持の由來を御物語有之
J19_0291B29: 我もまた百年の後は當寺へ可參間先此尊像を貴僧
J19_0291B30: へゆつり置たしと御念頃に御契約ありて御歸り被
J19_0291B31: 成候其後ほどなく尊像寺へ御移り安置仕候處寬永
J19_0291B32: 十四年に至り良雲院樣御逝去にて御約諾の通り西
J19_0291B33: 福寺へ御葬り被遊候其後正譽意天台命をかうふり
J19_0291B34: 靈巖寺へ移轉住職仕此時此尊像も靈巖寺へ御移し

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