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J2760 略伝集 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0572A01: 授を要む上人遁れて處靜院に入り又淸淨心院に隱る
J18_0572A02: 然れども尚ほ大衆追隨して講筵虚日なし會ま兩國回
J18_0572A03: 向院主席を虚うす檀信擧て上人に歸依し懇請至誠に
J18_0572A04: 出つ上人遂に之に應す自ら嘆して曰く予曾て以爲ら
J18_0572A05: く生涯必ず檀家あるの寺院に住すへからすと然るに
J18_0572A06: 今本院に主たらざるを得ず蓋し業報の然らしむる所
J18_0572A07: また如何ともすること能はずと幾くもなく明治維新の
J18_0572A08: 運に當る諸宗碩學共同して一社を結び同盟會と曰ふ
J18_0572A09: 乃ち上人を推て敎頭となす尋て大敎院建つ又敎頭
J18_0572A10: となる遂に傳通院に遷り增上寺に進み大敎正に補す
J18_0572A11: 時に明治十二年なり當時都下篤志の居士等各宗管長
J18_0572A12: 等と胥謀り弘敎書院を興し大藏經校訂縮刷の擧あり
J18_0572A13: 乃ち上人を推して同院の貫首となす十八年の冬を以
J18_0572A14: て其功を奏す十九年三月微恙あり深川本誓寺の隱房
J18_0572A15: に遁る然れども佛天なほ未た光を鞱むを許さす翌年
J18_0572A16: 四月總本山知恩院門主となる乃ち淨土一宗の管長と
J18_0572A17: して數千萬の門末檀徒を調御し盛んに祖風を扇揚す
J18_0572B18: ること殆んど一年此年十二月病に罹る廿一年一月傳宗
J18_0572B19: 傳戒の要領を述作して後鑑に貽す三月に至て稿成
J18_0572B20: る名て傳語と曰ふ四月病いよいよ重し然れどもなほ
J18_0572B21: 例規に依て祖忌を修す廿五日は其當日なり上人斯日
J18_0572B22: 正午頭北面西右脇に臥し掩然眠るが如く正念往生
J18_0572B23: の素懷を遂けられたり世壽八十三舍利を得て本山に
J18_0572B24: 葬る上人行解相應して德望諸宗に冠たりしか如きは
J18_0572B25: 今敢て贅言せす天性頴敏活達にして顏容甚た溫和言
J18_0572B26: 行拘はる所なく灑灑落落逍遙自在人呼て羅漢行誡と
J18_0572B27: 稱す上人また諸大阿羅漢を尊信し曾て俗弟子菊池容
J18_0572B28: 齋の畵きたる五百應眞を得て毎年春秋さかむに之を
J18_0572B29: 供養す然れ共敢て儀式を設けず恰かも花前月下に賓
J18_0572B30: 客を招きて倶に歡を盡すか如き景情あり上人籍を淨
J18_0572B31: 門に掛て而も其貫首たりと雖も固より宗派の見あら
J18_0572B32: ず常に葛城慈雲尊者の宗風を學び十善法語を講演す
J18_0572B33: ること數回に及ぶ故に諸宗の緇素皆仰て以て釋門全
J18_0572B34: 體の泰斗となす即ち禪林の奕堂環溪獨園諸老日宗の

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