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J2760 略伝集 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0564A01: 淸規及報恩寺小淸規十七條住職別規十七條知事別規
J18_0564A02: 七條其他日分規月分規年分規等に至るまで縝密嚴重
J18_0564A03: に淸規を定めて寺社奉行に進達し後進の育英に奔走
J18_0564A04: せり次て大津大願寺無關和尚をして報恩寺を兼住せ
J18_0564A05: しむ是より先き國廳師の敎化徹底の行實を賞し白銀
J18_0564A06: 若干を賜ふ 文久二年壬戌九月廿日灞城無藏院に講
J18_0564A07: 莚を開きて疾に罹り百方醫療を加ふるも全快に至
J18_0564A08: らす然れとも師疾を勉めて請に應して諸寺に講莚を
J18_0564A09: 開く文久三年癸亥六月一日より食量日に减し身體漸
J18_0564A10: く衰憊せり廿一日弟子三人を召し遺囑して大順に席
J18_0564A11: を繼かしめ義應を後見とし公邊をして寺中の雜務を
J18_0564A12: 指揮せしむ廿三日巳の下刻諸方より參集の老少に最
J18_0564A13: 後の十念を授與し端座合掌して空中を瞻仰しつつ微
J18_0564A14: 音念佛凡二百餘遍其後は助音念佛に應して唯唇舌
J18_0564A15: を動すこと四五十遍にして泰然として遷寂す于時文
J18_0564A16: 久三年癸亥六月廿三日未の上刻なり春秋六十歳法臘
J18_0564A17: 五十三なり有縁の道俗考妣を喪するか如し廿六日丸
J18_0564B18: 山に荼毘す遷化の前後祥瑞夢感等頗る多し今之を略
J18_0564B19: す師一生四方に遊化して勸誡講説の席數五千餘座先
J18_0564B20: 師歸寂の年より日課授與總計六萬餘人に達す先師に
J18_0564B21: 値遇せしより五十餘年西圓寺紹職以後四十年能く先
J18_0564B22: 師寫瓶の旨を奉して遺囑を誤らす師天性縝密嚴正に
J18_0564B23: して動容周旋自ら度あり步蹤の整正なる坐位の矩度
J18_0564B24: ある終始畵一にして臂膝の觸るる所拜薦褻席悉く穿
J18_0564B25: てり又生涯子に臥し寅に起き長時の勤行毫も懈怠な
J18_0564B26: く四萬の課佛更に欠如なしされと淨業の餘暇には分
J18_0564B27: 陰を惜み勤學讀書老て益壯なりき師生平の行履悤て
J18_0564B28: 世の名利を厭ひ淨刹を欣慕する外更に希望ある事な
J18_0564B29: し其志操の堅實なること推て知るへし。
J18_0564B30: 學天上人略傳
J18_0564B31: 師諱學天。號實蓮社名譽祐阿因順。紀州那賀郡粉河
J18_0564B32: 人也。文化元年生。幼而喪父母。乃有出塵之志。文
J18_0564B33: 化七年四月。年甫七歳。投州之小倉光恩寺冠譽上人
J18_0564B34: 剃染。名學天。文化十二年。冠譽上人示寂。師事法

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