浄土宗全書を検索する
AND検索:複数の検索語をスペースで区切って入力すると、前後2行中にそれらを全て含む箇所を検索します。
巻_頁段行 | 本文 |
---|---|
J18_0561A01: | 影從。予補學頭職者三年。退住淸淨心院。曇在職三 |
J18_0561A02: | 年。退而隱棲。一時越人有倣破佛於水戸者云爾。大 |
J18_0561A03: | 僧正冠譽公。遣豫防微。曇起奉命於運正寺。以文久 |
J18_0561A04: | 壬戌八月十五日。病逝焉。齡五十有四。國人惜之 |
J18_0561A05: | 行誡撰 |
J18_0561A06: | 法道和尚略傳 |
J18_0561A07: | 師諱は法道字は圓如德蓮社元譽と號す布薩して信阿 |
J18_0561A08: | と稱す又蓮菴と別號す長門阿武郡萩の人父は村尾氏 |
J18_0561A09: | 母は長嶺氏なり文化元年甲子八月廿五日生る禀生淸 |
J18_0561A10: | 悟にして至孝なり父深く儒敎を崇み婦の姙娠五月に |
J18_0561A11: | 至れは彼胎敎に傚ひ孝經を讀み聞かすを以て家法と |
J18_0561A12: | す師の孝情の厚き所以ありと云ふへし師生れて百日 |
J18_0561A13: | にして周防右田德性寺の老隱賢譽法山上人に謁し十 |
J18_0561A14: | 念を拜受すこれ師か佛法結縁の始なり七歳の春より |
J18_0561A15: | 草塲晋水老の門に入りて書法を習ひ八歳にして瀧花 |
J18_0561A16: | 仙子に就き儒を學ふ學步日の昇るか如し文化九年 |
J18_0561A17: | 壬申九月十三日師九歳にして始て大日比前の西圓寺 |
J18_0561B18: | 光譽法岸上人に謁し十念を拜受す上人師の容貌俊秀 |
J18_0561B19: | なるを見て曰此兒所謂龍駒鳳雛なり予得て速に得度 |
J18_0561B20: | せしめて世の通津となさむと父喜て之を諾す此年十 |
J18_0561B21: | 一月十三日父童兒を携へ風雨を冒して大日比に赴き |
J18_0561B22: | 同十五日薙髮剃度の式を行ひ先帥承譽法洲上人の弟子と |
J18_0561B23: | なり老師光譽法岸上人より名を法道と授けらる爾來先師 |
J18_0561B24: | の提撕を請け内外二典の深義を探り學業日に進め |
J18_0561B25: | り 文化十四年丁丑三月十五日師十四歳にして師命 |
J18_0561B26: | に依り父及辨雄法子等と共に灞城を發し途次靈跡を |
J18_0561B27: | 參拜し五月九日東武に着し縁山塔下立譽辨信上人の |
J18_0561B28: | 室に入る上人は老師の肉姪にして智行兼備の大德な |
J18_0561B29: | りしか此年秋台命に由りて參州巖洲信光明寺に轉昇 |
J18_0561B30: | す師隨逐同寺に至り夙夜解行を策勵せしか蒲柳の資 |
J18_0561B31: | 質水土の變に冒され翌文政元年戊寅の春より勞症を |
J18_0561B32: | 患ひ療養のために已むなく上人の座下を辭して歸國 |
J18_0561B33: | す 文政二年己卯師十六歳病漸く快復せるに由り江 |
J18_0561B34: | 戸小山龍原寺の老隱法譽歡信上人の東歸せらるるに |