ウィンドウを閉じる

J2760 略伝集 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0561A01: 影從。予補學頭職者三年。退住淸淨心院。曇在職三
J18_0561A02: 年。退而隱棲。一時越人有倣破佛於水戸者云爾。大
J18_0561A03: 僧正冠譽公。遣豫防微。曇起奉命於運正寺。以文久
J18_0561A04: 壬戌八月十五日。病逝焉。齡五十有四。國人惜之
J18_0561A05: 行誡撰
J18_0561A06: 法道和尚略傳
J18_0561A07: 師諱は法道字は圓如德蓮社元譽と號す布薩して信阿
J18_0561A08: と稱す又蓮菴と別號す長門阿武郡萩の人父は村尾氏
J18_0561A09: 母は長嶺氏なり文化元年甲子八月廿五日生る禀生淸
J18_0561A10: 悟にして至孝なり父深く儒敎を崇み婦の姙娠五月に
J18_0561A11: 至れは彼胎敎に傚ひ孝經を讀み聞かすを以て家法と
J18_0561A12: す師の孝情の厚き所以ありと云ふへし師生れて百日
J18_0561A13: にして周防右田德性寺の老隱賢譽法山上人に謁し十
J18_0561A14: 念を拜受すこれ師か佛法結縁の始なり七歳の春より
J18_0561A15: 草塲晋水老の門に入りて書法を習ひ八歳にして瀧花
J18_0561A16: 仙子に就き儒を學ふ學步日の昇るか如し文化九年
J18_0561A17: 壬申九月十三日師九歳にして始て大日比前の西圓寺
J18_0561B18: 光譽法岸上人に謁し十念を拜受す上人師の容貌俊秀
J18_0561B19: なるを見て曰此兒所謂龍駒鳳雛なり予得て速に得度
J18_0561B20: せしめて世の通津となさむと父喜て之を諾す此年十
J18_0561B21: 一月十三日父童兒を携へ風雨を冒して大日比に赴き
J18_0561B22: 同十五日薙髮剃度の式を行ひ先帥承譽法洲上人の弟子と
J18_0561B23: なり老師光譽法岸上人より名を法道と授けらる爾來先師
J18_0561B24: の提撕を請け内外二典の深義を探り學業日に進め
J18_0561B25: り 文化十四年丁丑三月十五日師十四歳にして師命
J18_0561B26: に依り父及辨雄法子等と共に灞城を發し途次靈跡を
J18_0561B27: 參拜し五月九日東武に着し縁山塔下立譽辨信上人の
J18_0561B28: 室に入る上人は老師の肉姪にして智行兼備の大德な
J18_0561B29: りしか此年秋台命に由りて參州巖洲信光明寺に轉昇
J18_0561B30: す師隨逐同寺に至り夙夜解行を策勵せしか蒲柳の資
J18_0561B31: 質水土の變に冒され翌文政元年戊寅の春より勞症を
J18_0561B32: 患ひ療養のために已むなく上人の座下を辭して歸國
J18_0561B33: す 文政二年己卯師十六歳病漸く快復せるに由り江
J18_0561B34: 戸小山龍原寺の老隱法譽歡信上人の東歸せらるるに

ウィンドウを閉じる