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J2660 無能和尚行業記 宝洲 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0118A01: 一顆にして念珠を驀過せず。一言も餘言を以て數に
J18_0118A02: 充ず。その勇猛精進如法の儀。大率かくの如し。
J18_0118A03: 私に按するに。明の蓮池大師。曾て永明禪師の晝夜
J18_0118A04: に彌陀を念ずる事十萬といへるを。みづから修して
J18_0118A05: 試み給ふに。四字の名號にて正しく十萬を滿ぜり。
J18_0118A06: 若六字なれは。その數〓滿ることあたはず。十萬とい
J18_0118A07: へるは大概にていへる事なりと。竹窓三筆に具に其
J18_0118A08: 子細を載せられたり。然るに今師の日課十萬。時に
J18_0118A09: 依て其餘をも修せらるるといふ事。人或は疑ひて虚
J18_0118A10: 誕に近しとせん。故にここに斷はり侍る。師の日課
J18_0118A11: 增して十萬に及ぶこと。一朝一夕にあらず。六箇年の
J18_0118A12: 間にて。諸人のことごとしくれる所なり。更に疑ひ
J18_0118A13: をなすべからず。明遍僧都の毎日百萬徧の行者を疑
J18_0118A14: ひ給ひしさへ。善導夢中に來現してこれを呵し給へ
J18_0118A15: り。雲棲の評は。後賢の議論に任せて。玆に記せ
J18_0118A16: ず。近代隆長闍棃の但信鈔にいはく。若は僧にもあ
J18_0118A17: れ。若は俗にもあれ。念佛の行者ならは。先數遍を
J18_0118B18: 第一とすべし。いにしへ鞍馬寺の重怡上人は四千日
J18_0118B19: の間。日毎に念佛十二萬遍を唱へ給ふ。藤原宗友の本朝新修往生傳
J18_0118B20: に見えたり 隆寬律師隆堯法印は。共に日課の稱名八萬四
J18_0118B21: 千遍なり。かかる數遍の行者。今の世にはあるべく
J18_0118B22: も思はざりしに、近き比洛陽誓願寺より出て。壬生
J18_0118B23: の邊に住る念佛の僧あり。私に云く專意法師といふ人なり日課念佛八
J18_0118B24: 萬四千遍なり。又丹波の國に隱れ居たまへる義高高
J18_0118B25: 雲の二比丘。日所作稱名十萬遍なりと語りし人あ
J18_0118B26: り。志深けれは難捨能捨難作能作侍るにや。長明
J18_0118B27: か言の如く。末の世の人とても。人ごとに下根なる
J18_0118B28: にはあらずと云云今無能和尚の所爲を觀て知りぬべ
J18_0118B29:
J18_0118B30: 一師時年卅一歳。正德三年四月十七日。伊達郡小島
J18_0118B31: 村梅松寺寓居の時剃刀を以て。みづから婬根を斷却
J18_0118B32: せられけり。小島村は所に外科醫なきに依て。五日を
J18_0118B33: 過て治療せられしに。其創三十日程の内に大かた平
J18_0118B34: 愈せりとぞ。或人婬根斷却の意地を尋ねしに。師語

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