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J2640 厭求上人行状記 祐山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0062A01: ○師又爰を去り攝州唐櫃に行小庵を結び松風を友と
J18_0062A02: す。元來此地の男女その性暴悍にして恒に猛獸を狩
J18_0062A03: し無慚放逸なり。未だ曾て後世をしらず。師時時是
J18_0062A04: を敎化す始は敢て信ぜず後に漸く因果の道理を聞て
J18_0062A05: 當來を恐れ念佛する者多し。一日師偶遠方にゆき山
J18_0062A06: 路を經て庵に歸る。途にして露身の僧に逢ふ。時晩
J18_0062A07: 冬なり。其由を問ふに答へて云く今朝此山中にして
J18_0062A08: 盜賊の爲に衣服を剥れたり我は是旅僧なり本國に歸
J18_0062A09: らんと欲す風雪膚を侵し寒苦骨に徹り飢又堪がたし
J18_0062A10: 請ふ慈愍を垂よと。師則ち侍者に命して路資の用金
J18_0062A11: を施さしむ。師自から着たる所の衣服の半を脱て與
J18_0062A12: へて云く。我と汝と共に寒苦を分たんのみと。僧禮
J18_0062A13: 謝して去る。師の慈忍斯の如し。其後唐櫃を退いて
J18_0062A14: 又洛の梅が畑に歸る唐櫃の庵今現在して幽松庵と號
J18_0062A15:
J18_0062A16: ○天和元年の冬より同二年の春に至る迄飢饉災あ
J18_0062A17: り。洛中洛外近里遠村餓死する者數をしらず途に橫
J18_0062B18: り街に滿り。師梅が畑に在て是を聞是を見て默止す
J18_0062B19: るに忍びず。則ち山を出て專福寺にいたり別時念佛
J18_0062B20: を修して餓死の亡靈を弔ひ又自身の衣服を脱ぎ日用
J18_0062B21: の調度をも米錢に代て日日餓者に施行す。餓者歡喜
J18_0062B22: して來ること市の如し。施財既に盡たり。師則ち手
J18_0062B23: づから一鉢を持して市中に入り行乞して餓者を救
J18_0062B24: ふ。諸人是を感じて大いに金銀米錢を送る。師則ち
J18_0062B25: 意に任せて大施行をなす。日日に六七千或は八九千
J18_0062B26: 人皆此施を受て壽命を全ふす。貴賤讃歎して云く大
J18_0062B27: なる哉法施財施。普く現當二世を救濟す實に大悲薩
J18_0062B28: 埵なりと
J18_0062B29: ○貞享年中洛の專念寺火災に罹りて一宇も殘らず灰
J18_0062B30: 燼して焦土と成りぬ。寺主いかんともすべき方なき
J18_0062B31: 故に夜に紛れて出奔し去る。檀家の輩列參して師に
J18_0062B32: 告て云く。尊師の師跡是の如し。檀家も又燒失する
J18_0062B33: 故に再興を謀るに力なし。伏して願はくは尊師大悲
J18_0062B34: を垂。枉て人情に隨ひ寺主と成りて再建し給へと。

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