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J2620 以八上人行状記 素信 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J17_0778A01: の沈痾劇はだし。君何によつてか適悅したまふと。
J17_0778A02: 親王こたへていはく西方の佳期いまそれ近きにあ
J17_0778A03: り。麁をすてて妙をとる。また悅しからずや。只う
J17_0778A04: らむらくは人信手無してたまたま寶山にいりてむな
J17_0778A05: しく歸ることを。易往而無人斯の言實なるかな。汝
J17_0778A06: 等つとめてこれを求よ。自から後悔をいたす事なか
J17_0778A07: れ。日禺中にいたらばわれまさに更に往生の行粧を
J17_0778A08: なさんと。則ち午時にいたりて僧伽梨を著し迎接の
J17_0778A09: 線を執り。禮讃の偈を誦したまふに音韻和雅にして
J17_0778A10: あたかも平日のごとし。また光明遍照の文を唱へ佛
J17_0778A11: を稱ること三百遍ばかり。回願懇到信解内に薰じ。
J17_0778A12: 至誠外にあらはれて見へさせたまへば左右これがた
J17_0778A13: めに悲泣雨涙す。すでに晡時にいたりて更に佛名を
J17_0778A14: となふること三十遍ばかり。端坐合掌して薨じたま
J17_0778A15: ふ。實に五月十八日申のときなりこれにつゐても他
J17_0778A16: 日御信仰の高慮を恐察すべし。
J17_0778A17: 先師萬貞信後に了阿と號〓すなはち光明院第十六世住持なりのちに洛西北梅かはた導故院に隱居して明和三丙戌十一月廿二日寂す正し
J17_0778B18: く厭求上人の法孫八幡西遊寺冏達上人剃髮の弟子なりしかれとも十一歳にして冏達上人におくれそれより梁道上人に師としてつかふよ
J17_0778B19: つて法親王よりたまふところの佛舍利朱御印並に戒儀傳衣等ことことく傳附之今現に信阿うやうやしく護持す。
J17_0778B20: ○寶曆十三癸未の年開山百五十年忌にあたり。信阿
J17_0778B21: 下向のとき本山知恩院順眞大僧正に申て以八寺の稱
J17_0778B22: 號を乞ひ御染筆を寄附して恩海の一滴にそなふ。す
J17_0778B23: なはち六字名號を大書して傍に寄與以八寺學信上人
J17_0778B24: とあるこれなり。
J17_0778B25:
J17_0778B26: 華降山光明院以八寺開祖行狀記
J17_0778B27: 光明院十四世素信著述
J17_0778B28: 同 院十五世恕信重修
J17_0778B29: 法孫古知谷信阿追考
J17_0778B30: 尾州八事山和上挍訂
J17_0778B31: 信阿和尚わかき比光明院にありて了阿和尚に隨從
J17_0778B32: しけるに此和歌を詠して師にみせられけれはこと
J17_0778B33: に感賞せられけるとなん今度此行狀記を梓に命す
J17_0778B34: るにいたりてただにやみなんもあまり本意なく覺

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