浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J17_0079A01: | 同閏六月廿日、種種の瑞相をしめして、僧正公 胤七十二 |
J17_0079A02: | 禪林寺の砌にして、往生の儀式、紫雲はるかに孤射 |
J17_0079A03: | 山より、槐門よりみえて、太上天皇、院使をつかは |
J17_0079A04: | し、准后宮、土御門の内大臣家より、かたがた車馬 |
J17_0079A05: | をとばして、花洛、邊土、人人、耳目を驚し侍りける。 |
J17_0079A06: | 紫雲靉靆の圖 |
J17_0079A07: | 元仁元年甲申正月、大谷修正に詣、梵唄引之後、念佛 |
J17_0079A08: | に交。同八月三日、定生房往生の跡に、五日、法蓮 |
J17_0079A09: | 上人の沙汰として、以定佛爲後房主。四十九日に、 |
J17_0079A10: | 法花經、金光明經、淨土三部經開題。導師躭空。同 |
J17_0079A11: | 九月廿五日、善光寺房生藝居障紙に、 |
J17_0079A12: | 世の中になしとてこそはしのはれめありては人に |
J17_0079A13: | いとはれしはや |
J17_0079A14: | 大谷本廟の圖 |
J17_0079A15: | 抑延曆寺梨子本は、實相圓融の房、靑蓮院は黄門皇 |
J17_0079A16: | 胤の跡也。各四明一山の貫首に備て、共兩門三千の |
J17_0079A17: | 頭領とまします賢哲、或は平生の筵に以上人念佛 |
J17_0079B18: | の先達とし、或は存沒の庭に諷誦を捧て、往生の後 |
J17_0079B19: | 會をちぎる。其間、學侶員數は三千に限と云ども、 |
J17_0079B20: | 法性制底は萬法につくしがたし。たとへば淨名の室 |
J17_0079B21: | の内に、三萬二千の床をたて、螻蟻のつかの間に、 |
J17_0079B22: | 五智萬德の體をおさむるに似たり。然者東西楞嚴の |
J17_0079B23: | 衆はたとひ墳墓を傾べくとも、彼此憲政の流は、爭 |
J17_0079B24: | か遺骸をおろそかにする事を得んや。高巖たかくし |
J17_0079B25: | て、四十五尺の波よりもしろき我山、長安ながくし |
J17_0079B26: | て、百千萬莖の薺よりもあをきみやこに、院宮みや |
J17_0079B27: | はらよりはじめたてまつりて、都鄙貴賤むらがりあ |
J17_0079B28: | つまるとき、本山のため、いかなるあやまりかきこ |
J17_0079B29: | えけん、後堀川院御宇、金剛壽院の殿座主僧圓基御 |
J17_0079B30: | 治山のとき、嘉祿三年丁亥六月廿一日、山の所司專當 |
J17_0079B31: | つかはして、大谷廟堂こぼちすつべきよし侍りける |
J17_0079B32: | に、東宮入道、出向て云、汝等何人ぞや、左兵衞尉 |
J17_0079B33: | 藤原盛政法しが、近隣に目を驚し、心をさかはしむ。 |
J17_0079B34: | 其子細あらはすべからず。天廷をおどろかしたてま |