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J2310 円光大師行状画図翼賛 円智・義山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J16_0742A01: 之後經奏聞與張行首共入滋福殿大師並一行
J16_0742A02: 人禮拜瑞像今考ニ太宋第二主自開元寺迎テ入テ内裏滋福殿供養スト云三月巡遊諸方
J16_0742A03: 聖迹其後歸到東京爰大師有移造像之心
J16_0742A04: 欲奉造之間其像移以安置内裏西化門外新造啓
J16_0742A05: 聖禪院院是今上宮家捨一萬貫錢所造也於是
J16_0742A06: 招雇彫佛博士張榮參彼院奉禮見移造彼朝雍
J16_0742A07: 凞三年載台州客鄭仁德船奉迎請像耳本朝永
J16_0742A08: 延元年也云云中畧若沙石集ニ依ハ律中ニハ龜茲國等ノ
J16_0742A09: 四國ノ王次第ニ本佛ヲ留テ移シテ是ヲ渡シ奉ル嵯
J16_0742A10: 峨ノハ第四傳ト見エタリ奝然法橋盜ミテ唐ノ本佛
J16_0742A11: ヲ渡セリトイヘリ嵯峨ニハ第二傳ト申トカヤ實ニ
J16_0742A12: 是ヲ不知ナトアリ若扶桑略記ニ依ハ第三傳也彼
J16_0742A13: 廿七云天元五年八月奝然法橋度唐南北兩寺牒唐
J16_0742A14: 寬和二年八月廿五日仰太宰府令歸朝入唐僧奝
J16_0742A15: 然等三年二月摺本一切經論並靈山第三傳釋迦等
J16_0742A16: 身立像十六羅漢繪像持來帝王編年記同之又云異本自山崎津
J16_0742A17: 賷來蓮臺寺天下貴賤靡然仰向先是被下宣
J16_0742B18: 旨雅樂寮供音樂又七卷法物集一ニ諸説ヲ出セ
J16_0742B19: リ繁カ故ニ此ニハ略シヌ百練抄云建久六年二月廿
J16_0742B20: 三日釋迦堂修復之後遂供養凡此寺ノ興廢ヲ云事
J16_0742B21: 東鑑等ニ見エテ巨細第四十七卷ノ事義ニ具ニセリ
J16_0742B22: 續古今ニ淸凉寺ニテ讀ケル寂蓮法師鷲ノ山ニタヒ
J16_0742B23: カケノ移キテサカノノ露ニ有明ノ月
J16_0742B24: ●恒寂ハ母ハ皇后正子也俗名ハ恒貞親王仁明帝立爲皇太子承和元年依橘逸勢之謀反而廢之●奝然ハ本三論宗也又受密乘於元杲
J16_0742B25: 【醍醐寺】 帝王編年記云山城國宇治郡拾芥抄云二十
J16_0742B26: 五大寺隨一壒囊抄云延喜御門延長四年甲子ニ建
J16_0742B27: 立シ給フ醍醐朱雀村上三代ノ御願ト云ヘリ貞觀寺
J16_0742B28: ノ座主權法務聖寳ノ草創ナリト扶桑略記云延長四
J16_0742B29: 年十二月廿八日行醍醐寺新造釋迦佛像并四天王
J16_0742B30: 像開眼事使藏人近江大椽尹甫以布百端誦經
J16_0742B31: 兼見其事令奏帝王編年記同之釋書聖寳傳云貞觀之末闢醍
J16_0742B32: 醐寺而演顯密二敎延喜九年賜醍醐爲官寺

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