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J2190 菩提心集 珍海 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J15_0502A01: 菩提心集上
J15_0502A02:
J15_0502A03: 珍 海 已 講 述
J15_0502A04:
J15_0502A05: 問我等この世にありて何事をか思ひ出にはすべき。
J15_0502A06: 答古のものはをば捨山の月をみてぞ此世の思ひ出
J15_0502A07: とはいひける。今はしからず。此世の思ひ出とは。
J15_0502A08: 父母といふ事をしり。佛法にあひ奉り。法花涅槃の
J15_0502A09: もろもろの大乘經などを聞奉れる。此世の思ひでな
J15_0502A10: り。其ゆへはおほくの生を經けんに父母といふ事を
J15_0502A11: わきまへざりけん。罪深き者は無量劫を經れ共父母
J15_0502A12: 三寳の名を聞かずと經の中には説ればなり。鷄の子
J15_0502A13: はそだちて父といさかひ。犬の子は大きになれば親
J15_0502A14: を啀みくふ。鳥獸のいづれか父母を敬ひ養ふ。皆わ
J15_0502A15: が身に經しことなり。又むかしの人はわづかに母を
J15_0502A16: 知りて父をしらざりき。賢き帝世に出おはしてより
J15_0502A17: 敎へしらせいひ傳へたり。更にもいはず。佛法は多生
J15_0502A18: 曠劫の間にも聞がたく逢ひ難し十方國土の中にも弘
J15_0502B19: め行ふ事希なり。近くは我國にも欽明天皇の治天下
J15_0502B20: 十三年壬申の歳冬十月の一ひの日佛經わたり給ひし
J15_0502B21: より三寳の御名をは聞きはじむ。其のち大治三年今
J15_0502B22: 年に至るまで都て五百八十一年然ればそれよりあな
J15_0502B23: たの人は佛法の名字をも聞かざりき。佛法の中にも
J15_0502B24: 更に大乘の法はいろいろ聞き難きなり。しかるをか
J15_0502B25: かる佛法流布の世に生れあひて苟も人の形を備へ聾
J15_0502B26: にもならずして聽受奉る此世の思出唯之に在べし。
J15_0502B27: 問いかにいひいかにすとも三惡道を離れん事のあ
J15_0502B28: るまじく思ゆれば何事もよしなく思ゆるをは如何
J15_0502B29: すべきや。三惡道に墮んはもともしかるべし惡業
J15_0502B30: 煩惱の離れがたければ惡道の苦を受くべきことは
J15_0502B31: り遁るべからず。然れども慚愧の衣惡業の膚をか
J15_0502B32: くし。懺悔の光衆罪のつゆを消す事あり。然れば
J15_0502B33: 諸の賢聖に愧恐れて罪を悔ゐ惡をとどめてこれよ
J15_0502B34: り後をつつしめ。現在にありながら常に行末を畏
J15_0502B35: よ。これを良藥とす。衆惡の病を癒す方術なり。又

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