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J2710 関通和尚行業記 〓 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0215A01: 關通和尚行業記卷之上
J18_0215A02:
J18_0215A03: 師諱は關通。字は無礙。一蓮社向譽と號す。別にみ
J18_0215A04: づから雲介子と號せらる。尾張國海西郡大成郷の人
J18_0215A05: なり。父は橫井氏伊勢平氏の苗裔。母は小鹿氏な
J18_0215A06: り。元祿九年四月八日に師を出生せり。師その性聰
J18_0215A07: 敏にして六歳のころより歸佛の念おのづから發り。
J18_0215A08: 常に出家せんことをねがひ佛堂僧寺にまうづること
J18_0215A09: を好み。をさなき遊戯の中にも沙門の所作をなせ
J18_0215A10: り。されば父母師の佛縁ふかきことを感じ。釋門に
J18_0215A11: 投じて出家となさばやとて。同郡小茂井村の專德寺
J18_0215A12: の住持吳峯は。父の從弟なりければ師をして彼寺に
J18_0215A13: 入しむ。師寺にいりて後は。いよいよ佛を敬ふここ
J18_0215A14: ろざし深く。又殺生などするものを見てはこれをな
J18_0215A15: げき。萬につきて善をこのみ惡をにくむ。其動止庸
J18_0215A16: 兒の類には大に異なり。吳峯熟視して此小兒尋常の
J18_0215A17: 人にあらずとおもはれければ徒にわがごとき不德の
J18_0215B18: 身に隨んより。有識の碩德に投じて。如實の學行を
J18_0215B19: もなさしめんとて。師九歳のとき當國神明津に。壽
J18_0215B20: 仙院といふ眞言宗の某甲法印。德者のきこえあるに
J18_0215B21: よりて。彼寺へ贈り遣しけるに。しかるべき因縁に
J18_0215B22: や。彼寺に在こと一年ばかりにして。師みづから又
J18_0215B23: 吳峯のもとへかへりて。われ更に餘宗を望まず。は
J18_0215B24: やく淨土宗において。出家の本意を遂さしめたまへ
J18_0215B25: と。おもひ定たる體なり。吳峯は師の意に簡別ある
J18_0215B26: を見て。いよいよ奇兒なりとおもはれける故に。其
J18_0215B27: ねがひにしたがひ。淨家の明師にしたがはしめんと
J18_0215B28: て師を相具し。同國海東郡穗保の庄。中一色村西方
J18_0215B29: 寺照譽靈徹上人の許にまゐりて師の所願を演説せら
J18_0215B30: る。もとより此上人は名利を厭捨して。行學兼備へ
J18_0215B31: 遠近歸依し。道俗ともに慕ふ大德にてぞありける。
J18_0215B32: 上人くはしく事の由をききてよろこび。すみやかに
J18_0215B33: 許して座下に留めたまへり。それより歳を經て。い
J18_0215B34: よいよ法器なる事を鑑て。寶永五年師十三歳のと

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