ウィンドウを閉じる

J2310 円光大師行状画図翼賛 円智・義山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J16_0662A01: 習年建久九年の春。上人選擇集を聖光房にさづけら
J16_0662A02: る。これ月輪殿の仰によりてえらへる所なり。いま
J16_0662A03: た披露に及ばずといへとも。汝は法器なり。傳持に
J16_0662A04: たへたり。はやく此書をうつして。末代にひろむへ
J16_0662A05: しと仰られければかたじけなく頂戴してうけぬ。我
J16_0662A06: 大師釋尊は。ただ法然上人なりとぞ。たとひ申され
J16_0662A07: ける。
J16_0662A08: ●此集ノ起リ建久九年正月一日ヨリ房籠ノ事ニ依
J16_0662A09: テ月輪殿ノ請ニ應シテ撰述シ給ヘリサレハ此御傳
J16_0662A10: 授ハ殿下ヘ編進セラレテ後イク程ナカリシカハイ
J16_0662A11: マタ披露ニ及ハヌトナリ一説ニ正治元年建久十年改元
J16_0662A12: 月復趣帝土重奉仕法然上人上人告言建久九
J16_0662A13: 戊午正二兩月依月輪禪定殿下請命造一軸書號選
J16_0662A14: 擇集蒙嚴命不流布是以無聞于世無人于
J16_0662A15: 寫瓶汝法器仁須傳我法密寫斯書弘通末代
J16_0662A16: 良榮決疑抄見聞
J16_0662A17: 同年八月に上人の嚴命をうけて。豫州に下て念佛を
J16_0662B18: すすむその化にしたがふものかずをしらず。又建久
J16_0662B19: 十年二月に歸洛して上人に奉仕す。それより元久元
J16_0662B20: 年七月にいたるまて六箇年。寸陰をおしみて。釋文を
J16_0662B21: 研覈し一宗の深奧をきはむること。水を器にうつす
J16_0662B22: がごとし。
J16_0662B23: 畫圖
J16_0662B24: ●本傳ニ歸安置佛像於塔遂供養儀於此安居
J16_0662B25: 一向稱名矣建久九年到預州勸念佛從八月至十二月ニ傳法繪ニ
J16_0662B26: 云ク弟子辨阿ハ上人ノ入室後ニ遣テ伊州ニ而弘通セシム念佛ヲ還テ鎭西ニ建立スト光明寺ヲ道俗歸者如雲霞
J16_0662B27: 焉ト豫州久米郡鷹子村西林山三藏院淨土寺昔ハ法相宗今眞言
J16_0662B28: 宗ナリ也ハ相傳テ孝謙天皇ノ勅願ナリト云堂宇荒凉セ
J16_0662B29: ル時賴朝卿聞召テ再興アリ其後郡司河野氏修飾ヲ
J16_0662B30: 加ヘテ代代ニ及ベリ境内八町四方ヲ限リテ重科違
J16_0662B31: 犯ノ輩ト云トモ當寺ノ領ヘ入ヌルハ赦免アルヘ
J16_0662B32: キヨシ照文アリトカヤ空也上人圓光大師聖光上人
J16_0662B33: ノ影アリ是其門流ナト住居セル事アリテ此像ヲ置
J16_0662B34: ナルヘシ即是光公ノ念佛勸進ノ遺跡ナリト云事疑

ウィンドウを閉じる