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J2310 円光大師行状画図翼賛 円智・義山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J16_0654A01: ●備前周防兩國ヲタマハリトハ東鑑十五ニ文治二
J16_0654A02: 年四月十日始入周防國採料材致柱礎釋書聖
J16_0654A03: 一傳云文永六年勑領東大寺幹事以周州充其
J16_0654A04: 中略云云●造營ノ功ヲヲヘトハ釋書云十餘歳建
J16_0654A05: 久六年春三月落慶重源傳又云某月某日復先資治表
J16_0654A06: 榮西傳云建永元年秋九月勑主東大寺幹事不踰四
J16_0654A07: 歳大殿層塔凡當有之所悉備足ト●金銅盧舍那ハ
J16_0654A08: 第十六卷ニ注シヌ朝野群載ニ殿高十五丈六尺東西
J16_0654A09: 二十九丈南北十七丈基砌高七尺東西三十二丈七尺
J16_0654A10: 南北二十丈六尺柱八十四枚殿戸十六間天壼三千百
J16_0654A11: 二十二葢步廊一廻戸二十間東西徑五十四丈南北徑
J16_0654A12: 六十丈大像身量結跏坐高五丈三尺八寸面目等ノ量具ニ注ス就中基砌
J16_0654A13: 今尚存在スル者ノ其ノ量粗符合スト云續日本紀ニハ五丈釋書ニハ十六
J16_0654A14: 丈トアリ是ミナ往古ノ量ヲ計テイヘルナリ今十一
J16_0654A15: 間トハ尋常ノ一間ヲ六尺モテ十五丈六尺ト云ニ對ス
J16_0654A16: レバ大概半ヲ减シタリ若倍量一丈二尺ヲ爲一間ト也モテ計レバ
J16_0654A17: 大抵昔ノ量ニ相合ヘリ又佛ノ身量五丈ナド云フハ
J16_0654B18: 坐像ノ量ナレバニヤ若是ヲ立像トナストキハ十餘
J16_0654B19: 丈ノ量ニ符合スルナランカシ知人更詳焉●心ヲ
J16_0654B20: キテハ源氏ニ上ノ御心ヲキテナド云類往生ニ見エ
J16_0654B21: タリ俗ニ心ダシナミト云ニ同意ナルベシ●建久三
J16_0654B22: 年十一月當寺カサネテ供養ノ御願文トハ文治元年
J16_0654B23: 八月二十八日大佛開眼アリ建久六年三月十二日
J16_0654B24: 供養ナリ今此年月カサネテ供養ノ義イカガ百練抄
J16_0654B25: 云建仁三年十一月晦日被供養東大寺仍上皇御
J16_0654B26: 幸トアリ久ノ字筆ノ誤ナルニヤ文治建久後鳥羽ノ院ノ御宇
J16_0654B27: 經テ源公ヲシテ大功ヲ終シメケレド供養ノ後逐電
J16_0654B28: セラレケレバ定テ闕トコロナクハアラジサレバ建
J16_0654B29: 土御門ノ院ニ及テ愈修補ヲ加テ重テ供養ヲトゲラレケ
J16_0654B30: ルニヤ此後尚イマダ全備セザレバニヤ建永ニ榮西
J16_0654B31: 文永ニ聖一ヲシテ幹事タラシム次上ニ注スガ如シ
J16_0654B32: ●草ハ草案ナリ第十五ニ注シヌ此卿ハ新古今眞名
J16_0654B33: 序ノ作者ニテ後鳥羽院ノ御談ナリキ建仁四年三月
J16_0654B34: 六日左大辨二十九日造東大寺長官トナル具ニ公家

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