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J2310 円光大師行状画図翼賛 円智・義山 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J16_0542A01: 圓光大師行狀畵圖翼贊卷三十六
J16_0542A02:
J16_0542A03: 事義
J16_0542A04:
J16_0542A05: 傳本第三十六
J16_0542A06: 月輪殿の。仰をかるる趣をもて。光親卿たびたび申
J16_0542A07: 入らるといへども。叡慮なを心よからず。しかるに
J16_0542A08: 上皇御夢想の御事ありけるうへ。中山の相國。賴實公
J16_0542A09: 嚴親の善知識たりし因縁をわすれす。上人流刑の事
J16_0542A10: をなげきたまひて。念佛興行の事。さだめて佛意に
J16_0542A11: そむかざらんか。門弟のあやまりをもちて。とがを
J16_0542A12: 師範にをよぼされ。罪科せらるる事冥鑑はかりがた
J16_0542A13: きよし。しきりにいさめ申給けれは。おりしも最勝
J16_0542A14: 四天王院供養に。大赦ををこなはれけるに。その御
J16_0542A15: 沙汰ありて。同年十月二十五日改元承久元年なり十二月八日。勅免の
J16_0542A16: 宣旨をくだされけり。かの狀云。
J16_0542A17: ●相國賴實公ハ大炊御門左大臣經宗公ノ長男也建久十年六月廿二日太政大臣ニ任シ元久元年正月五日從一位ニ叙ス建保四年正
J16_0542B18: 月廿八日出家法名顯性嘉祿元年七月五日薨去年七十一號六條相國或中山相國●最勝四天王院ハ後鳥羽院御願三條白川橋ニ建ラル承元元年十一月廿三日供養承久元年七月十九日自白川被渡五辻殿
J16_0542B19: ●叡慮ハカシコキ御心ト云義ナリ天子ノ御氣色イ
J16_0542B20: ミシキヲホメタル詞ナリ●上皇ハ後鳥羽院ナリ
J16_0542B21: ●御夢想ハ下ニ見エタリ●大師ハ相國ノ御父經宗
J16_0542B22: 公ノ臨終ノ善知識ナレバ此因縁ヲ忘レタマハズト
J16_0542B23: ナリ嚴親ハ經宗公ヲ指スナリ●冥鑑トハ神祗冥道
J16_0542B24: ノヒソカニ照シ見給フヲ云●最勝四天王院供養ハ
J16_0542B25: 百練抄云承元元年十一月廿三日供養習禮二年三月
J16_0542B26: 廿五日奉居御佛同廿八日藥師堂供養也仍上皇
J16_0542B27: 御幸●罪ノ輕重ヲイハズ皆御免アルヲ大赦ト云釋
J16_0542B28: 書云天武帝十五年五月天皇病大赦天下囹圄已空
J16_0542B29: 日本紀同之ニ三代實錄云元慶四年十二月四日大赦天下
J16_0542B30: 大辟以下罪無輕重常赦所不免者咸皆赦除之
J16_0542B31: ナドアリ

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