京都市左京区の東南部、如意ヶ岳西麓一帯の地名。法然在世中、弟子の住蓮・安楽がこの地の草庵において別時念仏や六時礼讃を修していたところ、感銘を受けた後鳥羽院の女房鈴虫・松虫が出家してしまうという、いわゆる建永の法難の発端となった地である。後にその故地には住蓮山安楽寺が建立され、さらに付近には知恩院三八世万無の命により、弟子の忍澂によって法然院が建立され、捨世派の道場として清規しんぎを整え如法念仏の道場が築かれた。
【参照項目】➡法然院、安楽寺四
【執筆者:兼岩和広】