阿波介
提供: 新纂浄土宗大辞典
あわのすけ/阿波介
一二世紀末頃、生没年不明。「阿波の介」とも書かれる。法然に帰依した京都伏見居住の陰陽師。人の心を誑かし、謀によって人の目を欺く、放逸邪見の者であったという。富貴長者にして七珍万宝と七人の妻を得て、日に三度、妻たちを裸にして柱に縛って杖で叩き、その啼き声を酒の肴にしていた。あるとき播磨国の「うらこ」に行く途中で道に迷い、通常三日の道程に七日をかけた。今生においても旅路には道案内が必要であるのだから、まして浄土に往生するには善知識が必要であると思い至り、即座に道心を発した。のち法然の弟子となり、聴聞の嬉しさの余り、財産を妻たちに等配した。臨終の時には、陸奥国平泉(岩手県)にある藤原清衡建立の中尊寺金色堂で、端座合掌し、西に向かって念仏百遍ほど称えて往生した。荼毘に付した後の遺骨は皆水精の珠のようであったという。現在、金色堂そばには阿波介舎利塔があり、陸奥を教化した金光との関係が指摘されている。一説に、現在浄土宗で用いている二連数珠のもとを考案したとされる。
【資料】『四十八巻伝』一九、『翼賛』一三、五一(浄全一六)
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)
【参照項目】➡阿波介の念珠について示されける御詞
【執筆者:南宏信】