鎮西学園
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちんぜいがくえん/鎮西学園
学校法人。熊本市中央区九品寺。鎮西中学高等学校、真和中学高等学校を運営。明治二一年(一八八八)一〇月、久留米善導寺に浄土宗鎮西支校が開かれたことに始まる。同二四年九月筑前箱崎の郡立中学校の跡地に移された。一方、同二八年一〇月二二日、浄土宗は、東京への日清戦争戦死者のための忠魂祠堂設立を許可され、以後、大阪・名古屋・金沢・広島・小倉・熊本の各師団管下に漸次忠魂祠堂が設立された。同三一年五月宗制宗規を改定して八大教区を設けるようになり、各教区に教校を置いたが、これに伴い第八教区(九州一円)教校が熊本忠魂祠堂の境内に設立された。同三八年四月、宗門の報恩事業として中学校令による文部省認可の私立鎮西中学校を開校、初代校長に福島愍雄、二代校長に五島法眼、三代校長に上田貞雄が就いた。第八教区鎮西教校が併設された。同四四年三月、第八教区教校は閉鎖した。昭和二二年(一九四七)三月、学校設立者を(財)鎮西中学校に変更し、理事長に上田貞雄が就任、四月に新制中学校を設置したが、翌二三年四月、新学制による高等学校を設置した。同二六年三月、設立者を学校法人鎮西学園に変更し、男子商業科を設置した。同三九年女子商業科を設置。同四二年体育科が設置され、普通科を男女共学とした。同六三年男子商業科・女子商業科が男女共学の商業科となり、平成一三年(二〇〇一)体育科を体育コースとした。また昭和三五年(一九六〇)四月、鎮西中学校第三代校長上田貞雄を創立者として真和中学校を設置し、中高一貫少数精鋭の大学進学志望者のみを募集した。同三八年四月真和高等学校開校。同四五年真和中学・高等学校ともに男女共学となる。同四九年第四代校長に上田祐規就任。上田貞雄専任理事長となる。『観経』の「三心」に基づく誠・信・望の校訓のもと、個性を伸ばし、大乗仏教精神により、勤勉にして義務と責任を重んずる穏健中正なる人間を育成することを教育の方針としている。同五四年二月上田貞雄理事長逝去。同年三月上田祐規校長、理事長兼任し今日に至る。
【資料】『鎮西学園百年史』(鎮西学園、一九八九)
【執筆者:上田祐規】