観随
提供: 新纂浄土宗大辞典
かんずい/観随
文化七年(一八一〇)—元治元年(一八六四)一一月四日。心蓮社即誉行阿善順。川越蓮馨寺三九世。一五歳で出家し、方誉順良に嗣法した後、増上寺学寮主、三島谷谷頭を経て、嘉永五年(一八五二)一二月から安政三年(一八五六)一一月まで、増上寺六六世慧厳のもとで所化役者を務める。その後学頭となり、同四年五月に『蓮門六時勤行式附小子訓』を刊行し、勤行式の一宗統一をはかった。また同年九月に聖冏の『釈浄土二蔵頌義』三〇巻、『同見聞』八巻を了従とともに刊行した。これはのちに『浄全』の底本となっている。また同五年に『七巻書籍』を重刻した。同年九月一九日、蓮馨寺に晋董し、一山諸堂の再建に尽力。五五歳で蓮馨寺において入寂する。墓地は同寺と目黒祐天寺にある。また生前の業績を称えて中興号が贈られた。
【参考】大谷旭雄「蓮門六時勤行式の編者観随—その足跡と業績—」(『法然浄土教とその周縁』坤、山喜房仏書林、二〇〇七)、宇高良哲「浄土宗触頭増上寺役者譜年次考」(『大本山増上寺史』大本山増上寺、一九九九)、『祐天寺年表』四(祐天寺、二〇〇八)
【執筆者:石川達也】