京都市下京区寺町通仏光寺下ル恵美須之町。光勝山。京都教区№一〇〇。開山は空也。空也の教えは半俗半僧の鉢叩きとして流布したが、その間建立された若干の御堂の一つが空也寺の前身とされる。浄土宗への帰属年代は未詳。天正年間(一五七三—一五九三)六世見誉のとき豊臣秀吉の市街地整備により寺町街の現在地に移転した。江戸時代京極門中の一寺院として知恩院六役を勤めている。寺内に空也上人立像(木像)や金仏釈迦坐像(鎌倉期)が安置されている。
【参照項目】➡空也
【執筆者:野田秀雄】