石橋誡道
提供: 新纂浄土宗大辞典
いしばしかいどう/石橋誡道
明治一一年(一八七八)二月二四日—昭和四〇年(一九六五)一月五日。大蓮社教誉信阿碧水。清浄華院七六世、宗学者、教育者。愛知県碧海郡伏見屋村(現・愛知県碧南市)に石橋源之助の次男・重松として生まれ、明治二一年(一八八八)、光用寺(西山派、現・豊川市長沢町)に弟子入りし、誡道と改名する。その後、貞照院(碧南市霞浦町)太田大信に師事し、上京して同三九年に浄土宗大学高等正科を卒業、さらに進学して宗教大学研究科を同四二年に卒業した。そこでは宗余乗のみならず天台学も修学。その後、内地留学生を拝命し京都に移ると勤息義城に師事し、さらなる研鑽を積む。大正二年(一九一三)には佛教専門学校に奉職、昭和一七年(一九四二)には校長に就任している。その間、尼衆学校教授(一九二〇—一九三二)も務めている。同二〇年には清浄華院に晋董し教化活動に邁進した。著書に『時代と宗教』(総本山知恩院開宗記念伝道部、一九二二)、『九品寺長西教義の研究』(佛教専門学校出版部、一九三七)などがある。
【参考】石橋大僧正記念会編『青風払明月』(石橋大僧正記念会、一九六五)、大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:江島尚俊】