聖冏が『直牒』全一〇巻を著作したと伝えられている洞窟。茨城県常陸太田市松栄町にあり、聖冏は戦乱を逃れて不軽山の洞窟に身を寄せ、そこで一〇年間にわたり生活し、著作が応永三年(一三九六)に完成した。三窟あり中央の窟には阿弥陀三尊が浮き彫りにされており、左右ははっきりしないが大日如来の曼荼羅とも言われている。現在は直牒洞保全会が結成され、香仙寺が管理している。
【参照項目】➡決疑鈔直牒
【執筆者:服部淳一】