浄閑寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
じょうかんじ/浄閑寺
東京都荒川区南千住(三ノ輪)。栄法山清光院(初め超勝院)。通称は投込寺。東京教区№三四五。新吉原の遊女が多く葬られ「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と川柳に詠まれた。開山は増上寺一八世随波の弟子順波で、『浄土宗寺院由緒書』には寛永六年(一六二九)正月二五日に一宇を建立とあるが、明暦元年(一六五五)に至っての開創とされている。安政二年(一八五五)の大地震の際に遊女が投げ込まれるように葬られた。それ以来現在までに二万人以上の遊女が葬られ、新吉原総霊塔が建てられている。その心情にひかれ作家永井荷風はしばしばここを訪れ、詩碑を残している。二四世の岩野真雄は大東出版社を設立し『国訳一切経』などを刊行した。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)
【参考】『荒川区史』上(荒川区、一九八九)
【執筆者:野村恒道】