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浄久寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

じょうきゅうじ/浄久寺

長野県下伊那郡阿智村駒場。米沢山泰栄院。長野教区№二三二。承久元年(一二一九)選冏がこの地に錫をとめ、一寺建立したのを開基とし、天文元年(一五三二)証蓮社岸誉により中興開山される。慶長六年(一六〇一)四世誓蓮社本誉のとき、徳川家康の側室である宮崎筑後泰影の息女お仙(泰栄院)、徳川家康に仕えていた市岡氏の息女おまつ(芳杲院)が当寺の檀那となり、御朱印一三石の寺として再興する。当寺は享保七年(一七二二)知恩院別触べつふれ寺院、宝暦一一年(一七六一)増上寺の別触寺院に任命された。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二六(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)


【参考】宇高良哲「浄土宗の触頭制度について—特に信濃国を中心として—」(印仏研究三一—一、一九八二)


【執筆者:兼子道雄】