正覚寺 (しょうかくじ)
提供: 新纂浄土宗大辞典
しょうかくじ/正覚寺
一
愛知県清須市須ケ口。大雄山性高院。尾張教区№一四九。徳川家康第四子松平忠吉(徳川秀忠の同母弟)が母宝台院(お愛の方)の菩提寺として武蔵国忍荘(埼玉県行田市)より移し、現在地に建立。開山は満誉玄道。慶長一二年(一六〇七)忠吉逝去の際、忠吉の霊廟を建立。慶長年間(一五九六—一六一五)の清須越しで名古屋へ移り性高院と改称される。当寺はその跡地に宝台院の菩提寺として再建され、名古屋の性高院末寺となった。
【資料】『蓮門精舎旧詞』一六、『鎌倉光明寺志』
【執筆者:大田明光】
二
岡山市北区田町。報身山良正院。岡山教区№三二。天正一一年(一五八三)貞誉の開基。最初、中島町にあったが、小早川秀秋の外濠工事により当地に移る。元和元年(一六一五)池田輝政の室、良正院(徳川家康次女)を仮荼毘に付したことから院号とし、以来、位牌を祀る。当寺は岡山藩池田家の庇護のもと、備前国の触頭であり、浄蓮院(廃寺)、超勝寺(廃寺)、天城正覚寺の三寺を末寺としていた。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三三(続浄一九)、『諸檀林並拾七箇国触頭寺院連名帳』(文政一一年)
【参考】『岡山市史』宗教・教育編(岡山市役所、一九六八)
【執筆者:鴫谷真策】